ルアセック ー鳥籠ー
欲しいと思った。だが、手出しして良い状況でもなかった。
ルアセックとしては、諦めたというより機会を窺っていたのだが…そうするうちにサーティスが神殿から姿を消してしまったと聞いて…まるで長老方のように分別臭く躊躇したことを当時は本気で悔やんだものだ。
しかしつい先年、突然神殿を訪れた従弟にまみえた時、ルアセックは過日、強引に我が物としてしまわなかったことについて自身の慧眼をこっそりと称賛したものである。
西方で出会った友人1を匿い、その治療をしたい。ついてはその場所の提供を…との依頼で訪れたのは…もはや羽根を折られた無力な鳥ではなかった。
手足が伸びて、肩幅も広くなった。柔らかな若草色の双眸から繊細な印象は影を潜め…狷介不羈2、いっそ傲岸不遜なほどの奔放さは、妖しげな燐光さえ放って見えた。
「颯竜公」の名に愧じない力と自信がそこにあった。
あのままレーダ邦という鳥籠に収めてしまっては、こうはならなかったかもしれない。脆弱な籠の鳥は、竜に化けた。何があったかは知らぬ。だが、負った傷さえも呑み込んで、風の竜として再生したのだ。
しかし翼を得た竜は至って奔放で…過日のように簡単に捕らえることができない。大陸を闊歩しシルメナへも頻々と立ち寄るくせに、手を伸ばしかけるとふいと姿を消してしまう。
そんなことが続いたものだから、今度という今度は即位式に託け近衛を繰り出してまで王城へ引っぱり込んだ。
強引なやり方なのは百も承知だった。当然ながらサーティスには相当文句を言われた。しかしたとえ僅かな間だとしても、手の届くところに置いておきたい。その欲望のため…風見の代理を依頼するという大義名分を、ルアセックは最大限に利用したのだった。
それが今…双眼の若草色は生彩を欠いて淀んでいる。
昨夜か、今日か…あの娘…マーキュリア・エリスの面影を色濃く残すエリュシオーネの生き残りと何かあったのは確実だった。…それが原因で、今はなかば自棄になっているのだ。
酷く傷ついて、自棄になって。ひとときすべてを忘れたがって。…そんな危うさが手に取るようにわかる。わかっていてなお、付け込まずにはいられない。
千金でも購えぬ。ルアセックにとっては、それは修辞ではなかった。欲しいものを問われた時に零れたのは、紛れもない会心の笑みであった。
もう、俟たない。
自棄だろうが八つ当たりだろうが、あるいはいっそあてつけであろうと…この腕に抱けるならそれでいい。
――――少し触れただけで反応してしまったのが口惜しいのか、横たえられたまま鮮やかに朱を刷いた顔を精一杯背けたところで…薄紅に染まる首筋をこうも無防備に晒していては誘っているも同じだ。故意か、天然かといえば…後者なのだろう。
世慣れたふうはしていても、サーティスはこうした行為をあまり快楽として受け止めたことはなかったのかもしれない。あるいは最初に、何の打算もなく慈しんでくれた相手を…短時日の間に失った経験がそうさせるのか。だが、それを不憫と感じるのは傲慢かも知れぬ。
契機が課せられた役責に従っただけだとしても、あの女が衷心からその身を捧げたであろうことは想像に難くない。だからその面影が今もなおサーティスの中の深い部分を占めていたとしても、何の不思議もなかった。
振り向かせるのは容易ではなかろうが、手練手管を弄することがそれほど有効とも思えなかった。
だからただ、ルアセックは衝動のままに身体を重ねてその首筋に唇を落とし…もはやまつわるだけの下衣を取り去って指先を進め、鋭敏な部分を探った。
- 愁柳、後のシュライのこと。故国を出奔するに至った擾乱において、愁柳は瀕死の重傷を負った。サーティスが治療に当たって一命を取り留めたが右腕に障害が残り、その機能訓練のために一時シルメナのセファルタ郷に館を借り受けた経緯を指す。このあたりは「西方夜話」にて。
- 狷介不羈…自分の意志を固く守って、何者にも束縛されないこと。