午睡-siesta-

・・・・・・”希望”だよ。

ひとはわかりあえるかも知れない、ということの。


Akino-ya Banka’s Room Evangelion SS 
「siesta」

午睡-siesta-


 林に三方を守られ、眩しいばかりの白い砂浜に面したその家は、本来は別荘として建てられたものであろう。瀟洒な造りだ。
 林の中を通る道もあるが、シンジはいつも敢てこの砂浜を通る。
 周囲には人間の存在をにおわせる何物もない。漂着物さえも、流木と海草が絡み合った天然のオブジェ。波の音と、時折聞こえる遠くの鳥の声以外に音はなく、時間と隔絶された空間であるかのような錯覚さえ起こさせる。
 だが、真っ白な砂と、穏やかに陽光をはねる海面の揺らめきを見ながら入江を回り、急峻な崖につけられた細い径を上っていくと、その家が見えてくる。屋根、白い壁、テラスデッキ、それから・・・・・・。
「やあ、いらっしゃい」
 家の主が、デッキに並べられたプランターに水を撒く手を止めて顔を上げる。そして、とても真似のできない穏やかな笑みを浮かべて手を振るのだ・・・。

***

「遠い所をようこそ。疲れただろう?・・・・どうぞ」
 芳香のあるお茶がテーブルに置かれる。シンジは慌てて言った。
「あ・・・あ、構わないでよ。それより、調子はどうなの?」
「ご覧のとおりさ」と、彼。
「とりあえず、平穏に日を過ごすぶんには何の差し支えもないよ。ありがとう、シンジ君」
 この海岸の砂と同じ色の髪を揺らして、彼が微笑む。自分のカップにお茶を注ぐ手も、頬も、病的な白さとの危うい境界上にあった。
 開け放たれた窓から入る風は、穏やかな潮の香りを含んでいる。
 ゆったりとしたリビングの一方はテラスデッキへ向かって開かれている。落ち着いた色調に統一された室内の随所にも、小さなプランターが置かれて緑のアクセントをつけていた。
 あたりは波と風の音のほか、音らしい音もなく・・・・・。
「静かだし、いい所だよ。ただ、一寸不便かもしれないけどね」
 シンジが俯く。婉曲に、予防線を張られたような気がしたのだ。それでも敢て口を開いた。
「・・・ねえカヲル君、どうしても、第3東京へ戻ってはくれないの?」
 ポットを傾ける、カヲルの手が止まる。彼の表情は動かなかったが、極力平静を保とうとするようなあやうさがあった。
 ややあって、シンジの視線を遮るように静かに目を伏せ、シンジのカップにお茶を注ぎ足すと言葉を続けた。
「・・・ごめん、何度も言ったけど、そんなつもりはないんだ」
 シンジが訪れる度に繰り返される問答。しかしいつも平行線に終わってしまう。答えるカヲルはいつもシンジの胸が痛むような表情をするのだが、来れば言わずにはいられない。
「・・・・カヲル君は悪くないのに・・・・どうして君だけが、こんな寂しいところで・・・・ひとりで・・・・でていかなきゃならないのは、僕の方だったのに・・・」
 それが子供の駄々に近い言いぐさであることは、シンジは最初から承知していた。それでも、カヲルを困らせるだけだと判っていてなお言い募る。
「帰ってきてよ、カヲル君!! 何もかも捨ててしまうつもりなの? 学校も、クラスの皆も・・・・・!」
「シンジ君・・・!」
 カヲルが顔を蒼白にして立ち上がった。びくりとして黙るシンジ。そして、蚊の鳴くような声で言った。
「・・・・ごめん」
 カヲルの面持ちは沈痛だった。
「・・・SEELEのことなんかもうどうでもいいのは確かだよ。SEELEに固執しなくたって、僕ひとりならなんとでもなるもの。学校もそう。・・・・でもね、信じて欲しいんだ。・・・・君は違うんだよ、シンジ君」
 白い掌がシンジの頬に触れる。シンジはがたがたと震えていたが、ついに泣き出してしまった。
「・・・・・ごめん・・・・ごめんねカヲル君・・・・。僕・・・僕は、あんなひどいことしたのに・・・・・!!」

***

 SEELE。ドイツに本社を置く巨大複合企業。先代会長キール=ローレンツは辣腕家として知られたが、寄る年波には勝てず、先年、傘下の一企業の社長でしかなかった碇ゲンドウに実権を譲るに至った。
 言うまでもなく、シンジの父である。
 だが、真偽のほどはともかく、この交代劇は碇の策略によって会長が失脚した結果だというもっぱらの噂だった。
 世界最大の富豪も、その後は不遇であった。資産は何故か大部分が散逸しており、キール自身も病を得、片田舎の療養所暮らしの後、寂しく没している。
 カヲルはそのキール=ローレンツ直系の孫、そして後継者と目されていた。
 無論、正式な役職に就ける年齢ではなかったのだが、会長は彼を後継者として扱い、経営に参画させていた。・・・カヲルはそれだけの識見と能力を有していた。
 本来なら既に修士課程を終了しているカヲルに高校教育など不要だったが、祖父の方針とかで敢て高校に通っていることが、シンジには嬉しくてたまらなかった。
『僕はシンジ君と一緒にいられればそれでいいんだよ。そのために高校に通ってるんだから』
 危うい出席日数を指摘された時、カヲルは決まって悪戯っぽく笑い、そうやって話を逸らしたものだ。おまけに傍らのシンジに抱きついて見せ、女生徒に悲鳴をあげさせることもしばしば。その度にシンジはゆでだこのようになってカヲルをたしなめた・・・・。
 カヲルは、天が時として二物どころか三物も四物も平気で与えてしまう、という見本だった。
 いつも余裕たっぷりで、しかもその振舞いが自然で決して鼻につくことがない。平素理性的な癖に、意外と平気で莫迦もやるから、お定まりのやっかみを受けることもない。シンジにしてみれば、彼のような人物が友人でいてくれることはもはや奇跡に近かったのだ。
 それだけに、嬉しかった。
 だからあっさり彼が第3東京を去ってしまって、一番ショックを受けたのはシンジだった。最初、父親が彼を逐ったのだと思い込んだのだ。社内の旧勢力を一掃するための見せしめとして追放されたのだと。
 それは無論早合点であったが、若いが優秀なブレーンになり得た彼を、ゲンドウがしいて慰留することもなかったのもまた事実だった。
 しかしそんなことよりも、カヲルがシンジに何も言わず休学届を出し、失踪同然に去っていったことが、シンジには辛かった。親友だと、思っていたのだ。何でも話し合うことのできる間柄だと。それだけに、裏切られたような気持ちだった――――――。
 暫くは呆然としていたシンジだったが、手を尽くしてカヲルを探した。無論、人を雇う金銭力がシンジにあろうはずもなく、噂を頼りに自分で探し回ったのである。
 休日を利用しながらのたった一人の捜索。それには長い時間がかかった。シンジがその住所を突き止めたとき、シンジはもう大学生になっていた。
 休学の理由を病気療養としていたのも、あながち嘘ではないのだろう。ここをようやく見つけ出した時、あまりの変わりように、シンジは愕然とした。しかし、それよりもシンジを混乱させたのは、カヲルの返事だった。
 やっとのことで捜し当てたカヲルは、第3新東京に戻ることを―――表現こそ柔らかくはあるものの――――はっきりと断ったのである。
「どうして!?」
 いきり立つシンジに、カヲルは何の釈明もしなかった。・・・・ただ、悲しげな表情で一言だけ。
「ごめんね・・・・」
 そしてその言葉が、シンジを追いつめた。
「・・・僕では、相談相手にはなれないってこと・・・・・・・?」
 その問いは、唸るような声で発せられた。その声に、俯いていたカヲルが顔を上げる。シンジの両眼にあるのは、何かを押さえつけたような鈍い光。
「それは違うよ、シンジ君・・・・・!」
 カヲルの声音は、悲痛でさえあった。だが皆まで言わせず、シンジはその肩を壁に押しつけた。急な動作にカヲルは均衡を失い、壁に身を凭せかけてようやく身体を立て直す。
「・・シンジく・・・・・っ・・・・!」
 何を、と言いかけた唇は塞がれる。あまりのことに呆然とする間に、舌が捩込まれた。
「・・・・・ん・・・っ・・」
 抗ってなどいないのに、手が血色を失って白くなるほどに手首を抑えられていた。その痛みが細い呻きを押し出したが、それでも手首は解放されなかった。
 呼吸を詰まらせる寸前でようやく解放され、カヲルは紅瞳を見開いたままずるずるとその場に座り込んだ。
 シンジの両眼は、完全に均衡と抑制を欠いていた。
「・・・・・・そんな・・・・・寂しいこと言わないでよ・・・そんな悲しいこと・・・言わないでよぉっっ!!」
 音階を踏み外した、それは絶叫。寄せ木のフロアにカヲルを突き倒し、その上にのしかかる。
「・・・・・カヲル君、カヲルく・・・ウッ・・・・」
 衣服を毟られ、がくがくと揺さぶられながら、カヲルは驚愕を通り越した静けさでシンジの狂態を見つめていた。
 生きながら鋭利な嘴に内腑を啄まれるような感覚は、一切の感情と無縁。ただ、胸郭の奥にゆっくりと氷塊のようなものが育ってゆくのを感じるのみであった。
『これは、罰か・・・・』
 シンジの苦しげな表情かおを映すカヲルの紅瞳は、いたましさに満ちていた。

***

 夕刻の赤みがかった陽光が、室内を満たしている。
 その一隅に置かれた寝椅子が、掠れた声とともに軋った。
「・・・あ・・・ァ・・・・・」
 白い喉が限界まで反らされ、シンジの肩で砂色の髪が軋んだような音を立てる。
 シンジが呻き、強く撓ったままの身体をきつく抱いて身を震わせた。
 ・・・・・短いような、長いような数瞬の後、二人の身体が弛緩する。身体を重ねたまま、ゆっくりと身を横たえた。
「・・・・ごめん、つらくない?」
 シンジの遠慮がちな問いに、もの憂げな声が応える。
「・・・・どうして・・・・?・・・・」
 ―――――あの日。気がついたとき、シンジは傷だらけの白い身体を硬い床の上に組み敷いていた。
 赤い痣、擦過傷、そして下肢を染める鮮血。
 親友だったのに。
 相手は病人なのに。
 おのれの仕業を目のあたりにし、恐慌に陥るシンジをカヲルはただ包んだ。泣き叫んで許しを請うシンジが落ち着くまで、そうしていた。
『・・・・・絶対に・・・もう、君を困らせるようなことなんか言わないよ・・・・こんな非道いこと・・・しないから・・・・だから、またここにきていい・・・・・・?』
 れてしまった声でそう言うシンジに、カヲルは何ら条件をつけずに諾を与えた―――――。
 しかし結局、シンジがここを訪う度に問答は繰り返されている。
「・・・・僕は構わないよ。君が望むのならね」
 シンジの首筋に唇を寄せて、カヲルが囁く。優しく。
「・・・・・お茶、淹れようか・・・?」
 そう言って、カヲルが緩慢に身を起こす。
「・・・あ、うん・・・・・・・ァ・・・ッ」
 離れるときの刺激に、思わずシンジが呻く。眩暈に似た感覚・・・・・。
「・・・・・・シャワーでも浴びておいで。その間にお湯が沸くから」
 その声に僅かに顔を上げると、カヲルがシャツをひっかけただけの格好で戸棚を開けている姿が目に入った。
 折り返した袖からシンジがつけた爪痕が覗いている。シンジは不意に罪悪感にかられて再び顔を伏せた。
 ・・・・・こんな筈ではなかった。こんな非道いことをするために、長い時間かけて探したのではなかった・・・・・。そう思うと、消えてしまいたいような気になる。
 目の前にいるのは、自信と余裕に満ちたあのカヲルではない。
 病み疲れ、シンジの陵辱にすら腹を立てることもなくただ受け容れるだけの―――――。
 怖かった。ずっと以前から。
 自分の感情に気づかれてしまうことが。
 嫌われることが。
 見捨てられることが。
 だから、本当に見捨てられたと思った瞬間に、恐怖は裏返された。失うことを恐れるあまりに、最低の行為で自分の腕の中にひきとめようとした・・・・・・。
『・・・・莫迦だ、僕は』
 思わず、涙がこぼれる。ふと日が陰ったかと思い、顔を上げるとカヲルが心配そうに覗き込んでいた。
「シンジ君?」
 カヲルの、3番目までボタンが外れたままの襟元に残る小さな痣。たった今、自分でつけたものであるにもかかわらず、それはシンジの胸に錐を捩込むような痛みを与えた。
「う、うん」
 思わず目を逸らし、自分のシャツを引き寄せる。
「ごめん、シャワー、浴びてくるよ」
 カヲルの言葉通り、シンジが湯をつかって身支度を調えた頃、丁度ケトルが立てる笛のような音が聞こえてきた。
 席に着いたシンジの前に、白い手が静かにティーカップを置く。今度は一人分だけ。カヲルは自分の分を淹れず、そのまま椅子に座った。それを待って、シンジは口を開いた。
「・・・カヲル君、僕・・・」
 だがカヲルは、今日も最後まで言わせなかった。
「・・・・・・また、おいで」

***

 シンジを見送り、夕焼けの色に染まった海を一瞥して、カヲルは踵を返した。
 まっすぐに寝椅子のある部屋ヘ戻り、頽れるように身を横たえる。
 疲れた四肢を投げ出し、深く吐息した。
 その砂色の頭は、優しい膝に受け止められている。
 彼と同じ白く繊い手が、砂色の髪を梳いた。
「――――――あれで、いいの?」
「うん・・・・」
 彼の答えに、青銀の髪の少女が戸惑いをのせて問い返す。
「本当に?」
 彼女の膝に頭を載せたまま、彼は仰向いた。片手で彼女の頬に触れながら、笑う。
「いいんだ・・・・・」
 そして、紅瞳を閉じる。彼女もまた。
 ――――――海の赤さは、夕刻の空の色の所為ではない。
 ――――――入江の向こうに、ヒトの住む街など存在してはいない。
 第3新東京市と呼ばれた街は、リリスの卵が大気中へ浮かび上がるときに、跡形もなく消え去っているのだから。
 ここに広がるのは、ただ白い砂ばかり。未遂に終わったサードインパクトの、残滓・・・。
『・・・いつまでこんなことを続けるつもり・・・・?』
『・・・シンジ君が、<キボウ>を必要としなくなるまでさ・・・・』
『・・・あなたはいいの、それで・・・・?』
『・・・僕は、一度消えた者だ。今の僕の存在は、彼の望みだから・・・』
『・・・だから、与え続けるの・・・・?』
『・・・君が存在を許してくれる間はね・・・・・』
 呼び方は何とでも。だが、リリスの子らに未来をゆだねてターミナルドグマで消えた17番目の使徒は、かくもシンジの裡に強い印象を遺した。“彼”を創り出してしまうほどに。
 見たこともないターミナルドグマでの記憶が一体何処からくるのか、彼は知らない。しかし、憶えているのだ。シンジの絶叫と、自分が消えていく感覚を。

***

 おそらくは午睡の夢。ほんの僅かの間、希望という名の夢が見たいのだ。セカンドインパクトも起こることなく、使徒との戦いもない日々の夢。だがその中でさえ、シンジは自身をさいなみ続ける。
『何故自分がここにいるのか判らない。自分が何者かすらわからない。でも、僕のこの気持ちだけは、本当だと思うから』
『“好き”なのね・・・・?』
『・・・うん、多分ね・・・・・』
『・・・・・そう・・・・・』
 髪を梳く手の、いたわるような動きが心地好くて、かすかに吐息する。
『・・・・・・・・・残酷ね』
『僕が?』
 彼女は応えなかった。

***

 白い砂と、赤い海。
 ――――――――――――――あとは、血色の虹と、昏い空。

――――――――Fin――――――――


Akino-ya Banka’s Room Evangelion SS 
「siesta」

「午睡-siesta-」に関するAPOLOGY…


あんだけカントクの夢オチに文句つけといて、いまさら何やってんだ!!

 はい、お怒りはごもっとも<(_ _)>
 大幅に遅れましたが、2000Hitを引き当ててくださった方からのリクエスト「大爆発or激甘S2」でございます。どっちと採られるかは、このさい読み手の方にお任せする、ということで♪(<こら逃げるな!!)
 そうそう、ご存じない方のために。S2とはShinji-Semeの略称で、シンジ攻をコンセプトとする「S2機関」なる秘密結社も存在します。
 要するに、映画版をいちおうなぞってるつもりなんですが・・・・
 「渚カヲル」君は24話できっちり消滅しておられます。その後出てきたカヲル君ってぇのは結局、シンジ君の幻想ないしは思考の具象化した存在であって、オリジナルのカヲル君とは別、という解釈ですね。(完全に別物っつーと、また問題ありますけども)
 それでもその言動はひたすらシンジ君の都合のいいように・・・・・とならないあたりが(たとえオリジナルではなくても)万夏んちのカヲル君だったりするんですが。
 ま、感覚で読んでくださいね。まかり間違っても理屈で考える話ではありませんので♪
 タイトルの出典は、これまた性懲りもなく池田聡です。ここらあたりに、激甘路線でいこうと画策していた当初のプロットの名残があったたりするわけですが・・・・・。(RKSバージョンで書いたら歌詞通りの激甘路線で貫けたのに・・・(爆)<こらこら)
 それでは皆様、次回まで万夏が正気でいたら・・・・・いや、何も申しますまい・・・・・・(^^;
1998,1,9

暁乃家万夏 拝