僕が、さよならを聞いた夜<初期Ver.>

「無理に微笑むなら、つらいだけだよ」


Akino-ya Banka’s Room
Evangelion SS 「the illusion disappeared」

僕が、さよならを聞いた夜<後編>


 もとはといえば、タカミの方に問題はあったのかもしれない。
 最初は将来への不安とか、研究所への不信感といったものでなく、行為そのものが面白くて病院のコンピュータに侵入し、自分たちのカルテを見た。
 そこで、自分たちに与えられる情報と、事実との間に差があることに気づいた。
単純に、自活できないからという経済的な理由で保護されているものと思い込んでいた。それが、つけたりに過ぎなかったことを見つけてしまった。
 そして、原因。覆い隠された事実を探り出す作業が、自身の首を締めていると気づいたときには、もう遅い。

***

 おかしいと思っていなかったわけではない。
だが、ここにいるより他どうしようもないと知っていたから、あえて調べたいとは思わなかったのだ。
幸いなことには、手段もなかったから。
 タカミがその方向コンピュータとネットワークに器用である事は知っていた。危険な遊びに手を出していることも知ってはいたが、自分に禁止する権限があるとも思っていなかったから、何も言わなかった。
だが、よりによって最悪のものを引き当ててしまうとは。
持て余した事実を自分の所に持ってきたタカミを責めることはできない。恐慌に陥りかけた精神状態で、事実を皆にぶちまけてしまわなかっただけでも上々というべきだった。
 責められるべきは、秘密の共有を理由に不安のはけ口を求めた自分自身。

***

 サキのしたことが、結果的にタカミをひどく冷静にさせた。
信頼を裏切られたとも思わなかった。・・・・ただ、自分が引き起こしたことの大きさを客観視できるほどに、悪く言えば醒めてしまった。
 一切の追及をやめ、進学に専念した。
 いつまで生きられるか判らないというなら、それは生きている者すべてに当てはまることなのだ。自分たちは、一般的な基準よりもそれがすこし早いかもしれないというだけのこと。
 時間が少ないかもしれないのなら、せめて早くこの家を出たい。
 そういう思いから、あえて飛び級スキップもした。
 しかし、何のためにそうするのか見つけられないままだった。学校を出て、職を得て、家を出る・・・・その先に何があるのか、あるいは何かがあるのかがわからなかった。
 限定されている自分の時間。それなのに自分が生きていることの意味を見つけられなかった。・・・・生きているということの、価値を。
 サキとの事が結局それを端緒にずるずると続いたのは、結局、自分が必要とされているという感覚が嬉しかっただけなのかもしれない。
 しかし、タカミは自分の中の新しい感情に気づき始めていた。・・・・あのひとに逢ってから。

***

 ヒーターの効いた室内で、氷は半分ほども溶けてしまっていた。
 ベッドの端にかけて、サキはグラスに氷と酒を注ぐ。伏せ加減に激しく上下する白い肩に、先刻脱がせたシャツをかけた。
 同じ苦しさを知っているから、抗わない。そのことを知っていて、また求める。
たちが悪いのは、どっちだろうか?
 白い肩を俯せに押さえつけても、光の加減でマラカイトグリーンを呈する双眸は狂うことがない。悪く言えば全てを諦めたような目をするのは、こんなときだ。
『・・・・どっちが歳上うえだかわかりゃしないな』
 昔から、醒めたところはあった。人好きのする微笑を浮かべて、その眸の奥は笑わず、悲しむことも、怯えることもない。
 それが、あのときだけは違った――――――――。
 先刻かけたばかりのシャツを取り、タカミの、少し色の淡い髪をかきやる。タカミは僅かに身動きしたが、気怠い吐息を漏らしただけで、再びシーツに顔を埋めた。
氷を浮かべているとはいえほとんどのままのジンビームを傾けながら、ふと目についたブラインドを傾ける。淡い月の光が、ベッドの上に零れ落ちた。
 俯せに身を横たえたままのタカミの、痕の残る肌が月の下にさらされる。サキはふと笑い、グラスを手にしたまま腕を伸べて、その上に琥珀色の滴を落とした。
「・・・ん・・・あ・・・っ・・・!!」
 背を伝った滴が微妙な部分を流れ落ち、タカミの身体がびくりとはねた。
「何・・・するんです、いきなり・・・」
 眠りの園から叩き出されたていのタカミは、ひどく機嫌が悪い。その反応すら愉しんで、サキはグラスの残り半分をあおった。
 上体を肘で支えた格好でサキを睨んでも、睨まれた方は涼しい顔。
「久しぶりで、無理させたからな。消毒さ」
「そう思うんなら、無理させないでください。大体・・・・」
 身も蓋もない科白を淡々と言い放つのも、こんなときだけ。
「40%程度のアルコールじゃ・・・消毒にもなりませんよ」
「違いない。・・・飲むか?」
 喉奥で笑い、なけなしの氷を足してジンビームをそそぐ。かわされたことに憮然として、タカミは再び身を伏せた。
「いりません。ウイスキーは嫌いなんです」
 伏せたまま、言い放つ。・・・と、不意に引き起こされた。
「日増しに可愛気がなくなるな。こまったもんだ・・・・」
 グラスの中身を含み、そのまま口づける。舌の侵入と一緒に、すこしきつい香りの液体が流れ込み、タカミは一瞬呼吸を詰まらせた。それを飲み下すことでやり過ごすと、飲み下した液体が胸を灼く。
「・・・・ん・・・っ・・・・・・・」
 突っ張った腕が緩み、サキの胸に頭を預ける。慣れない感覚にかすかに眉をしかめ、灼熱感が広がった辺りをおさえた。
 大人びたもの言いの割に、幼い所作。ついもう一度見たくて、引き寄せる。唇を捕らえてしまうと、片手を背に滑らせ・・・先刻酒が伝い落ちた痕をなぞった。
 探り当てられて、タカミが呼吸を詰める。解放された顎をサキの肩に預けて、かすかに呻いた。だが、縋るものを求めてさまよった指先さえも、サキを抱きかえすまでに戸惑いをみせる。

 その空隙の意味にうすうす気づいてはいても、かなしい。

 タカミが氷を足して戻ってきたとき、サキは窓を上げて外の空気を入れながら、グラスを傾けていた。
「酒は嫌いじゃなかったのか?」
 タカミが持っているトレイの上に、氷を入れた容器の他に琥珀色を満たしたグラスがあることに気づいて問う。
それジンビームが嫌いなだけですよ。酒が嫌いなわけじゃありません」
 トレイをデスクの上に置き、グラスを手にする。すこし丈の長いシャツのボタンは、4つめからようやくとめられているにすぎない。夜中とはいえ、ここからキッチンへ行く間に誰かに出会ったらどうするつもりだったのだろう?
 タカミの手ごとグラスを引き寄せ、一口含んで笑う。
「こんなもの、よく置いてあったな」
「ミサヲちゃん達がよくブランデーケーキを作ってくれるのでね。量が量だから普通のケーキ用ブランデーじゃ足りないというから、僕が買ってきておいたんですよ」
「それを失敬してきたって?キッチンドリンカーめ」
 何も答えず、タカミがブランデーを含む。
「キッチンドリンカーにもなりますよ。・・・・大事な話があったのに、そんなときに限って連絡しようにもなしのつぶて。帰ってきたら帰ってきたで・・・・」
 そこまで言うと、目を伏せてしまう。
「・・・・寂しかったか?」
 冗談めいた笑みにも、タカミが笑みをかえすことはなかった。窓枠に背をもたせかけたまま、俯いてもう一度グラスを傾ける。
「大事な話って?」
 首筋に口づけて、問う。片手をシャツの裾から伸びた下肢に滑らせながら。
「・・・・もう、いいんです」
 下肢を滑る手が、溯行していく。直接に触れられ、タカミが呼吸をつめた。
「そういうあなたこそ、なにがあったんです」
 開けた窓から湿気を含んだ微風が忍び込む。雨の匂い。
「・・・タカミ、あんまり人前で酒なんか飲むなよ。どうにもおまえさん、酒が入ると艶っぽくなって困る」
「・・・・はぐらかさないで!」
 熱くなりかけた頭を冷やすように、すこし語気を強める。タカミの首筋をなぞっていた舌先が、動きを止める。・・・・・・ややあって一段階声を落とし、呟くように言った。
「・・・・・・イサナはもう、この夏をしのげないそうだ」
 湿った微風と一緒に、白い花びらが滑り込んでサキの背に落ちる。
「・・・・え・・・・」
 囁かれた言葉の意味を理解したとき、タカミは呆然とした。
「医者同士で話してるのを・・・偶然聞いたんだ。・・・・3カ月前からのデータが悪くなる一方なんだそうだ。これまで悪くなっても持ち直してきたらしいんだが、それも今度はない、と・・・・・」
「・・・イサナが・・・・・」
「俺自身のデータがどうなってるのか、そんなことは知らない。ただ、イサナの事は確かだ・・・・・・。・・・・気がついたら、ここに来ていた・・・」
 タカミの温かさを確かめるように、頬を寄せる。タカミは静かに腕を伸べて、サキを包んだ。
「・・・まだ、死ぬと決まったわけじゃないでしょう・・・・」
 それは、タカミが自身を欺くために用いる言葉。
「そうだな、根拠はない・・・俺たちが死なないというのと同じに」
「サキ・・・」
 異常が成長あるいは加齢に伴って発現するものならば、今現実に不調を来しているイサナを別にすれば最も高いリスクを背負っているのは、最年長のサキなのだ。
 正体が不明である以上、異常が緩やかに現れるとは限らないのだ。今日は無事でも、明日は・・・・。しかしそれは、タカミとて同じ。
 微風に吹かれ、雪のような花弁がひとひら、またひとひらと舞い込む。早春の夜風はシャツ一枚の身体には少し寒く、すこし爪先立って身体を寄せた。
 それに気づいてか、サキが窓を降ろす。
「―――――――もう、来ない」
 タカミの肩が震えた。が、僅かに視線を逸らしただけ。
「どうにも、苦しめてるだけみたいだしな・・・」
「別に・・・・」
「・・・・まあ、言うなよ」
 タカミの耳朶をくすぐった笑声は、明らかな苦笑。
「これ以上逢ってたら、妬心にかられて何言い出すかわからん」
 その言葉に、タカミが青ざめた。
「・・・・サキ、知ってた・・・・・・・!!」
 身体を離す。信じられないという目でサキを突き刺し、腕を突っ張ることでサキの身体を押しやった。
「・・・タカミ」
 サキの言葉を最後まできかず、タカミはまっすぐに部屋のドアへ向かった。
 それを半ばまで見送り、サキはドアの音を聞きながらデスクに残されたグラスを取る。
 残りをすべて呷り、窓枠に凭れて天を仰ぐ。その喉奥から、くぐもった笑声が漏れていた。

***

 バスルームの冷たいタイルの上に座り込んで、タカミはうつろな眼差しを窓に映る樹木の影に固定していた。

 少し熱すぎるシャワーを紅点を残す肌に受けながら、何故か涙が止まらなかった。

***

 結局、皆に何も言わず出てきてしまった。まあ、この夜中では致し方ない。
夜の闇の中に浮かびあがる、春の白い花。さながら明かりを灯すかのようなその間を、サキはゆっくりと歩いていた。
 タカミの心の裡に、誰かが住み始めている。サキがそのことに気づいたのは、多分、タカミ本人よりも先だったに違いない。
 そうだ、タカミが連絡を取りたがっていたのは知っていた。知っていて、敢て知らない振りをした。・・・・・内容の見当がついていたから、わざと。
 どうにも歪んでいるな、と我がことながら苦笑する。逢わないほうがいいのかもしれない、とさえ思っていたのに、一寸心が揺れるとこの始末。・・・・結局、傷つけただけだ。

 霧のような雨が降って、散り際の花に重くまといつき、一輪、また一輪と零れてゆく。
 自分は天使でもなければ聖人君子でもない。誰にも渡したくない、自分一人の腕の中におさめておきたいという欲望がなかったといえば嘘になる。

 それでも、大学で出会ったというひとの話を初めて聞いたとき、判ってしまった――――。

  冷たい雨は、頭と身体を冷ますにはちょうど良かったかもしれない。
  星一つない空に、サキは告げ損ねた言葉を呟いた。

――――――――Fin――――――――

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