僕らは天使じゃない。
Akino-ya Banka’s Room
Evangelion SS 「the illusion disappeared」
僕が、さよならを聞いた夜<前編>
増改築を重ねて迷路状態になるのは公立大学の宿命とはいえ、これでは地図が無くては歩けない。榊タカミは案内板の前でひとつ吐息すると、頭をかいた。
「冬月教授の講義なら、第3講堂よ。そこの角をまがった突き当たり」
振り向いて、一瞬はっとする。金色の髪は、どうやら脱色のようだった。
「・・あ、ありがとうございます。ええと・・・」
金色に目を奪われて、いま一つ締まりのない返事になってしまった。今日が第1回の講義なのに、何故このひとは自分のことを知っているのだろう?
「どこかでお会いしましたか?」
「ああ、ごめんなさい」
そのひとは笑った。
「教授から聞いたの。飛び級組の男の子がうちの講義を希望してるらしい、って」
皆目話が繋がらず、タカミはよほど間抜けな顔をしていたに違いない。また笑われて、タカミは少なからず傷ついた。
「ごめんなさい、引き留めたわね。早く行った方がいいわよ。教授、時間にはうるさい方だから」
「はい、ありがとうございます」
ともかくも会釈して、踵を返す。教えられた方向へ早足で向かいつつ、タカミは憮然とするしかなかった。
『・・・・要するに、からかわれたのかな』
17歳の大学生が、今時さして珍しいとも思ってはいなかったが、やはりそれなりに注意をひくものらしい。
『それにしても、17を捕まえて男の子はないと思うけど・・・』
結局のところ、それが一番ひっかかっているタカミだった。
***
それは、家というには少々風変わりであったには違いない。どちらかと言えば、療養所敷地内の一郭という場所柄に合わせた外観。しかしそこは、彼らにとって確かに家だった。
タカミは、玄関の鍵が掛かっていたことに僅かに怪訝そうな顔をしたが、すぐに得心した。
「・・・今日から、検診だっけ。みんな出払ってるのか」
内装は一応作り変えてあるが、もとはといえば療養所の職員宿舎の一棟。もっともそうでなければ15人からの大所帯が家族のように暮らすには、とても広さが足りなかっただろう。
タカミは静まり返った廊下を抜けて、食堂に入った。テーブルに買ってきた食材を置いてしまうと、ひとまず自分の荷物を部屋へ置きに行った。
戻ってきたとき、夕日の差し込む食堂に忽然とその場に現れ出たような人影を見つけて、思わず立ち止まる。
壁に身をもたせかけ、漫然と宙を見ていた。
驚きのための一瞬の空隙のあと、タカミは笑った。
「サキ・・・・・帰ってたんですか!?」
サキ・・・高階マサキ。子供たちの中でも最年長で、一昨年、就職とともに家を出ていった。タカミの声に、振り向いていつもの悪戯っぽい笑みを見せる。
「・・・・・びっくりしたか?邪魔してるよ。さっき来てみたら皆出払っててね。しばらく外をぶらついてたんだが・・・・そういえば今日は検診か」
「あなたはもう済んだんですか?今月のは」
「・・・あぁ、まあね・・・・・・」
食材を冷蔵庫や戸棚にしまいながらの、いっそ無邪気とも言える問いに、彼は曖昧な返事をした。その表情には、先刻見せなかった憂鬱のようなものが、僅かに影を落としていた。
「一体どのくらい閉め出しくらってたんです?だからみんな鍵ぐらい持っていけばって言ってるのに・・・・・夕食ぐらいは食べて行けるんでしょう?皆が帰ってきたら喜びます」
だが、はずんだ声は振り向いた次の瞬間に凍りついた。
「・・・・・・・っ!・・・」
逆らう暇もあらばこそ。引き寄せられ、顎を捉えられる。抗議の言葉は発する前に吸い上げられた。
タカミの膝が崩れるのを憎らしいほど冷静にはかり、そのままダイニングの白い壁に押しつける。タカミが息を詰まらせる寸前で、サキは離れた。
「・・・・・サ・・・・・・キ・・・・・」
呼吸を乱しながらも、きついまなざしでサキを射る。
「・・・・・誰もいないんだろう?」
酷薄な笑みを浮かべて、タカミの首筋に口づける。片手は遠慮のない動きで衣服を緩めにかかっていた。
「・・・・・いやだ・・・・って言ったら・・・・・・何もしない・・・・って・・・・・約束・・・・ぁ・・・・・」
タカミの躰がびくりと震えた。
「今日はまだ、「いやだ」って聞いてないね」
「サキ!!」
声を荒げても、手は動きを止めない。ズボンからシャツを手繰り出され、その内側に少し冷たい手が滑り込む。与えられた刺激に、タカミはその言葉を口にし損ねた。
頭の中が熱くなり、シャツがたくし上げられるのも何か他人事のように見ていた。熱をはらんだ舌先が紅点を湿したとき、思わず背を反り返らせる。・・・・あるいは、少し声が漏れたかも。
しかしそのとき、反対側の壁にかけてあった時計が視界に入り、一気に醒める。
「―――――――いやだ!」
その声は、必要以上に大きかったかもしれない。身の裡の熱を振り捨てるかのように、四肢を突っ張らせて。
ようやくのことで目を開けると、サキがびっくりしたように顔を覗き込んでいた。その表情から、思わずタカミは目を逸らす。
「・・・・・・・カヲルが帰ってくるんですよ、もうじき」
絞り出した言葉のあとの、恐ろしい空隙。
しかし、サキは優しくタカミの髪を撫でて身体を離した。
「・・・・・・わかった。悪かったよ。立てるか?」
「・・・・・大丈夫です・・・・・」
目を逸らしたまま、わらう膝を軽く拳で打って、タカミは乱れた衣服を正した。
***
―――――――10余年前のあの日。光と、轟音とともに街が消えた。
後の調査結果では、隕石の落下と報告された。信じられない確率だが、街一つが消滅した言い訳としては、それぐらいしかなかったであろう。しかし、事実が異なるこということを、今のタカミは知っていた。
7歳だったタカミは、瓦礫と炎の中で地獄を見た。
あれは、隕石などではない。街の中にあった、ある研究所の爆発・・・・・・。全てが光と熱に変わり、消し飛んでいった。
研究所を持っていたのは、世界規模の大企業だった。その企業が、タカミ達を収容し、この療養所の一郭で匿うようにして育てた。
焦土のなかに残されたのは、14人の子供と臨月を迎えたひとりの女性。女性は収容されて暫くしてから男の子―――カヲルと名付けられた―――を生んで死に、結果的に15人の子供たちが残された。
家族はもとより、全てを失った子供たちには、大人しくここに居るより他、選択肢が無かった。
しかし、格段非道な扱いを受けたわけではないし、月に一度の検診を義務づけられている以外は行動の制限はない。学齢に達した子供は当たり前に学校に通うことができたし、進学するにも無条件で費用が与えられた。だからこそタカミもまた、のうのうと大学なぞへ行っていられるのだ。
彼らにとっては文句を言うほどの環境ではなかった。むしろ身寄りをなくした身で、さしたる不自由のない生活を送れることは、彼らにとって決して悪い条件ではなかったといえる。なによりも、そこにいることで擬似的とはいえ身内を得ることができたのだから。
――――――例え大人達が、そうすることで彼らの口を塞ごうとしていたとしても。
***
「・・・ったく、莫迦じゃないの?一言連絡をくれたら、鍵ぐらいわたしとくのに!」
賑やかな夕食の席で最年長者を頭ごなしに叱りつけたのは、今年高校にあがったばかりのミサヲ。15人の中で、彼女とサキだけは血縁と確認されていた。もっとも、ここに居る者は皆きょうだいのようなものだから、そのことにほとんど意味など無かったが。
「・・・あいっかわらず容赦ないねえ・・・」
苦笑いするサキに、ミサヲと二人してシチューをよそっていたリエが追い討ちをかける。
「大体ねェ!! サキったら水臭いのよ。ここは皆の家なんだから、いつ帰ってきたっていいのよ。鍵ぐらいもっとけばいいのに!」
「・・・だとさ、サキ。弁明は?」
完全におもしろがっているのはイサナ。健康上の問題で高校卒業後もここに留まり、CADの勉強をしている。
「・・・助け舟をだそうって気は無いわけだな、要するに」
憮然としてぼやくサキ。
その表情が存外普通であることに、タカミは安堵していた。
あんな強引な真似をするようなサキではなかった。・・・・少なくとも、タカミはそう思う。何か、あったのだろうか。それとも、変わってしまったのは自分だろうか・・・?
『・・・卑怯ですよ、あんな顔するなんて』
「・・・・・どうしたの?」
不意に問われ、タカミは一瞬自分が何か口にだしてしまったのかと慌てた。カヲルが不思議そうに見上げていたのだ。
「何でも・・・ないよ。ありがとう。カヲル君は優しいね」
***
瓦礫の下から見つかった子供たちを、捜索隊はAngelと呼称した。
すべてが死に絶えたと思われた地の生存者が子供ばかりだった事が、捜索に携わった人々に絶対者の加護めいたものを感じさせたのかもしれない。
Angel-11、ないし11th Angel。タカミが自分のカルテの隅に記載された記号の意味を知ったのは、さして昔のことではない。
爆発の原因を知っている者達には、被爆した者の身体に将来異常が起きることが予測できているのだ。そのフォローのために、自分たちはここに集められている。
Angel-06の記号を振られたイサナの身体の不調もイレギュラーなものではない。おそらくは、発現が早かっただけ。
――――――――――では、いつか自分も。
***
「・・・あれ」
暖房はきいているが、真っ暗な部屋。グラスと氷を載せたトレイを手にしたまま、タカミはスイッチを探した。
「寝ちゃったんですか?」
ドアがゆっくりと閉まり、差し込んでいた廊下の明かりが細くなってゆく。完全に閉まりきる前に、スイッチを捜し当てた手が押さえられた。
タカミが上げた声は、重いドアが閉まる音に紛れた。
「・・・いい歳してかくれんぼですか。いい趣味じゃないですよ」
タカミは溜め息混じりにそう言うと、スイッチを諦めて手を下ろした。
「・・・・大学行き始めてから、可愛気がなくなったなぁ」
後から抱きとめた格好のまま、その首筋に軽く口づけてからサキが笑う。
どうやら放す気はないらしい。タカミは諦めて言った。
「盆ぐらい置かせてください。落として割りでもしたら、どうなるかわかるでしょ」
抵抗にもなっていないが、ほかにどうしようもなかった。
・・・・判っていて、来たのだから。
そうしないと、話してくれない。軽い口調で覆い隠した、笑わない眸の理由を。
***
昔サキが使っていた部屋だが、今はほとんど物置に近い状態で、部屋の隅はダンボール箱で占められている。
残された調度といえば、ベッドと黒一色のカジュアルデスク、それに椅子。
トレイをデスクの上に置くと同時に、すでに裾を引っ張り出されているシャツのなかに指先が忍び込んできた。
「・・・ぁ・・・・・!」
いつもほど手間をかけず、すぐに紅点に触れてくる。呼吸を詰めたタカミの喉を軽く撫で、不意に下へ滑ったかと思うと、ベルトを一気に引き抜いた。
ベルトが床にぶつかる乾いた音は、カーペットが飲み込んだ。
滑り込んだ指の動きが、タカミの頬にさっと朱を刷く。熱い息を吐き、しばらくは堪えていたが、ついに膝が崩れた。
落ちる・・・・腕の中へ。
「・・・・・サ・・・・・・キ・・・」
身体の奥から噴き上げてくる熱にうかされ、タカミの目が焦点を失う。
「・・・・・狡いですよ・・・・あんな表情・・・・・するなんて・・・・・・・・」
「だから来たのか?・・・・・相変わらず、残酷なくらい優しいな」
そう言って、耳朶の端を唇で軽く挟む。
「・・・・・・・っ・・・・ぁ!」
横たえられ、衣服をほどかれても、タカミは拒みはしない。
タカミの衣服をベッドの端から滑り落とし、サキはいったん身を起こした。彼自身はまだ襟元が僅かに崩れているだけ。
「お前のそういうところがつけ込まれてるんだって、理解らないか・・・・・?」
そう言って、指先で熱を帯びた肌をなぞる。タカミは何か言いかけたが、与えられる感覚に白い喉をのけ反らせた一瞬に紛れる。
薄く開けた瞼の下から、マラカイトグリーンがかすかな光を放った。
TO BE CONTINUED