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 結局、まだ混乱状態から十分に脱しきれたとはいえないシンジは、加持に預かって貰うことになった。迎えに来た加持に、自動人形さながらの動きで追従していったシンジを見送ったあと…リツコが嘆息しつつ言った。
「まあ、落とし処ではあるわね。シンジ君を今日の今日、一人の部屋に帰すのはちょっと問題あるかと思ってたんだけど…」
「…まあ、なんとなれば数日はお願いするってテもあるよね。給料分ってことで」
「あら、結局雇ってるの?」
「ここんところ例の件を嗅ぎ回るのに忙しくて、他の仕事取れてないんだって。まあ、それについてはお気の毒様ってことで、一応。彼、知り合いも多いみたいだから…僕もいろいろ都合がいいし」
 タカミはからりと笑ってそう応じた。結局説得された形の加持は、タカミを評して「悪魔ルシフェル現身うつせみって言われても信じる」と嘆じたらしいが…一体何を見たのやら。
「これで…よかったのかな」
 カヲルとしては説明できる範囲のことは全て説明した。しかしその後のシンジの様子に、不安を禁じ得ない。
「…まあ、それについては…シンジ君にも時間が必要だと思うよ」
 まだあまり血色が戻ったとはいえないカヲルの頭を軽く撫でて、タカミは言った。
「いずれきちんと…レイちゃんとのことも話してあげないといけないしね。そこまでは、話してないだろう?」
 途端に、カヲルが蒼白になる。
「とても…そこまでは」
「いやいや、それでいいって。いくらなんでもオーバーフローしちゃうよ。…っていうか…一番悪い方向へキレそうな気もするし。とりあえず、現時点での最善ってことで、ね?」
「う、うん…」
 それについては同様の危惧を抱いていたカヲルとしては、そこを受容するしかなかった。
「さて、病院で検査終わったらしっかり午睡ひるねして貰うはずだったのに、すぐに飛び出してきちゃったカヲル君…今夜はちゃんと休んでね」

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 並木道の終わりで、カヲルはふと立ち止まった。
 歩道の石畳の上にはまだ木の葉が舞っている。だが、並木の枝先は蕾を抱いていた。
 アパートは引き払うことになった。カヲルは渡航や向こうドイツの大学へ編入のためのための手続きと、荷物の整理をするために、宙に浮いたままだったあの部屋へ当面間借りする。
 シンジは、大学の寮が借りられることになったと加持から聞いた。
「…好きだって…言ってくれたんだ。僕も好きだった。…大切にしたかった」
 揺れる木洩れ日を見上げながら、カヲルは呟くように言った。
「それなのに…あんなこと言わなきゃならない日が来るなんて」
『――――もう、辛いんだ。こんな気持ちのまま、君の傍にはいられないんだよ』
 タカミはそっとカヲルの頭に手を遣って訊いた。
「カヲル君…まだ責めてるの、自分を?」
 ふと、カヲルが呼吸を呑む。だが、ややあって口許を覆ってゆっくりと細く吐いた。
「…わからない…」
 柔らかく笑み、カヲルの頭を軽く撫でて、タカミは言った。
「君がシンジ君を好きだったことも、大切にしてたことも本当。でも、もう苦しくて彼の傍にいられなくなったのも本当。…多分、折に触れて思い出すんだ。これからも、きっと何度も。通り過ぎた風を呼び戻せないのと同じで、どうすることが出来るわけでもないんだけど」
「…うん…」
「でも、忘れなくていい。憶えてて、思い出してもいい。だってそれは、間違いなくカヲル君だから。…どれだけ時が流れても、嘘のない心が憶えてる…」
「一緒に連れて行くしか…ないんだね」
「多分ね」
「…それってやっぱり、経験則?」
「まあ…そうかなぁ…」
 襟元を軽く触れてから、タカミが歩き出す。カヲルはそれについてまた歩き出した。

――――――――Fin――――――――


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