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爆発の規模は、その街全体に及んだ。襲撃を決行した殲滅派と呼ばれる急進的なグループの実働隊はもとより、その時その街にいた殆どの人間は死に絶えた。
そんな中で十数人の子供が生存を確認される。大半は10歳にも満たない子供だった。
CODE:Angelである。子供達はすべてゼーレの施設に隔離収容され、『高階マサキ』もAngelー03のコードを振られることになった。
CODE:Angelは間違いなく使徒遺伝子が定着し、爆発の瞬間にATフィールドの展開が可能であった子供達であったが、内紛は上層部で一応の決着をみたらしく、その後は命を狙われるようなことにはならなかった。
爆発は対外的には隕石の衝突と説明されたが、内部では研究所内の発電機関の事故とされ、当日の宿直で責任者であった赤木博士の責任が問われた。
内紛の事実は抹消されたのだ。
赤木ナオコ博士も生存者ではあったが、感染が確認されなかったためコードを付与されることはなかった。おそらく、Angelー17…カヲルが展開したフィールドに守られたものと思われたが、重傷には違いなく、快復後もすこし足が不自由になった。
そして程なく、事故とも自殺ともとれる転落死を遂げる。
何があったのか、明白だった。ゼーレの日本法人は、彼女に責任をなすりつけて殺したのだ。トップは、碇ゲンドウという男。判っていても、どうすることもできなかった。
油断はならない。カヲルを含めて、子供達を守るのはもう自分しかいない。
だから事実を知る者がごくわずかであることを幸い、何事もなかったように上層部には恭順を装い続けた。
『高階マサキ』は、特例として研究に関わっているとはいえ社会的には十代も前半の子供に過ぎなかったのだ。幸い、あの事件以降…成長は正常発達の範囲でおさまっていた。子供達と一緒に生活している方が、何も知らない人間から変に怪しまれなくて済むだろう。
子供達と生活を共にしながらでも研究に関わり続けたのは、自らを被検体にすることで子供達が健康管理の範疇を超えた無益な検査に駆り出されるのを牽制するためでもあった。
どのみち、そういう扱いをされることには慣れている。
子供達が自分のことを自分で決められる力を持てる年齢になるまでは、監視下に甘んじるしかない。そう覚悟を決めていた。
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Angelー17。渚カヲル。唯一人の垂直感染者。その影響かどうかは定かでないが、色素欠損を呈していた。セラフィンの豪奢な金の髪でも、闊達な緑瞳でもなく、月と同じ銀色の髪と、辰砂の朱色の眼。生後数時間を経ずしてあの爆発を生き残るほどのATフィールドを展開し得た、という事実はゼーレの心胆を寒からしめたらしいが、身体的には至って脆弱だった。
ゼーレのCEO・キール=ローレンツの孫娘に当たるセラフィン・渚=ローレンツの子。そのあまりにも危険な立場を、本人は当然まだ知らない。
セラフィンと似ているかどうかは…マサキにはなんとも判断がつきかねた。
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Angelー16は、高階ミサヲ…あの高階夫人の遺児だった。一度しか会ったことがない筈の『高階マサキ』を迷いなく兄と呼び、一緒になって甲斐甲斐しく子供達の面倒を見た。
あの諦め半分、哀しさ半分、それでも自分という存在を受け容れようと懸命だったあの女性が笑みを取り戻したら、こんなふうだったのかも知れない…そんなことを思った。
年齢を思えば、豪胆なくせにひどく繊細な気遣いをする娘だった。『事故』のことも、取り巻く環境も、すべてを理解った上で、敢えて何も知らない振りでただひたすら子供達を慈しむことを決意している…あり得ないとわかっていても、そんな印象さえ受けた。自分と違って、彼女は正真正銘の子供であるはずなのに…総てを受け容れることのできる強さ、とでもいうべきものを感じた。
到底、自分の及ぶところではない。だったら、自分に何かあっても…彼女がいれば子供達は大丈夫なのではないかという気がしていた。だからこそ、マサキは研究を進めることに然程躊躇を感じなかった。
…そんな勝手な思い込みをしていると知ったら、彼女はさぞかし面食らうだろう。でも、その「勝手な思い込み」が、どれだけ『高階マサキ』を支えたか。
しかし多分、それを告げることは永劫にないだろう。
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そして、Angelー11…。
榊タカミ、という名前ではすぐに判らなかったが、セラフィンがかつて口にしかけた『あの子』…父母を同じくする彼女の弟もまた、感染者だった。
タカミは歳も離れ、幼時に別れたきりの姉のことは殆ど憶えていなかったらしい。だが、あの事件当日に生まれた子、という話をどこから聞きつけたのか、カヲルを自分の弟と思っていたフシがあった。父親の再婚相手が当時やはり臨月であったというから、無事であって欲しいという半ば願望に近いものであったのかもしれない。元来が人当たりが良く、天資というべき図抜けたお人好しではあったようだが、カヲルに対してはどちらかというと猫可愛がりに近かった。…当然というか、カヲルの方でもよく懐いた。
整った顔立ちとは思っていたが、少し淡い栗色の髪はともかく、その緑瞳がセラフィンの持ち物と同じであることに気づいてしまったのは、不味かったとしか言いようがない。
長じるに従ってその眉目はセラフィンのそれに似通ってくる。あの燦然たる美貌とは全くといっていいほど別物なのに、そこだけは間違いなく。
気づいてしまったら、目が逸らせなくなっていた。
不安発作が引き起こす自傷を防ぐために、時折同じ部屋で休ませていたのが仇になった。何の前触れもなく記憶の中の地獄に放り込まれ、彷徨うのは確かに辛かっただろう。差し出される腕に縋ることに何も躊躇がないのは、むしろ自然なことだった。
悪いのは、悔恨と、愛惜と、手に入らなかったものが眼前にあるような錯覚に負けた…マサキ以外の何者でもない。
セラから託された決断に迷い、結果として限局的にとはいえ地獄を現出してしまったのは自分なのに、何も知らずにセラと同じ緑瞳でマサキに微笑みかけ、身を委ねてくる。
偶然なのか…彼女と全く同じ抑揚。それで名を呼ばれ、温かみのある息遣いと、確かな熱を持った身体を腕の中に感じる…その時だけは、あの悪夢から逃れることができた。
違う。そんなことはわかっている。
夢から覚めて少し色の淡い栗色の髪を撫でるとき、どうしようもない苦しさに襲われる。それでも罪深い夢を見ようとする自分に度々嫌気がさした。
タカミを部屋に入れることはやめようと思いながら、その度にあの緑瞳の懇請には勝てなかった。…部屋に入れたが最後、抑制が効かなくなるのは判っていたのに。
その一方でタカミが自分の研究に興味を持ち始めていることにも気づいていたが、興味の赴くままに資料を読ませた。ゼーレのシステムに介入し内情を探ることも、ほんの初歩だけ教えたら加速度的に上達した。
ああ、多分これはいつかたどり着くな、と冷えた諦めと共にそれを見守っていたといっていい。あの女の血筋は伊達ではない。いつか、タカミは真実にたどり着く。そして、『高階マサキ』が何者なのかを知るだろう。
そうなったら、此処には居られない…。
しかし、破局は別の処で起きた。事実を知ったタカミは、マサキを問い詰めるより先にゼーレのシステムをクラックし、頓挫しかかっていたE計画を続行不能なまでに破壊してしまったのである。しかも、ゼーレに全く尻尾を掴ませずに。
これには、上層部が折れた。
結局、ゼーレ上層部としては使徒細胞の保有者として監視されていた者の中から変化を見つけることはできず、蓄積した情報も殆どが散逸した。その頃には、それまで拠り所としていた文書に対して解釈の問題があったのではないかという指摘も上がり、E計画の中止を提唱するメンバーが現れるに至って、終にマサキは行動を起こす。…事故の真実と共に。
――――『高階マサキ』の提案は、受理された。以後、『高階マサキ』はゼーレの正式なメンバーとしての権利を得る。
あの事件から、実に十年の年月が経っていた。
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ヒトは使徒を畏れる。だからコントロールしようとする。できなければ抹消しようとする。
ならば、コントロールできると信じさせればいい。
マサキは研究所を離れ、経歴を偽造して外部の病院で検査技師として働きながらその研究を開始した。ひとつには研究所の人間に身体をいじくらせるのも我慢の限界にきていたのだ。ゼーレに提案を呑ませ、そのメンバーとして名を連ねることによって得た権限をフルに使えば造作もないことだった。
そうして、施設も離れた。もう、一緒に住まなくても子供達への手出しを牽制できる。ひとつには、成長がほぼ停止した頃から原因の判然としない身体の不調に見舞われるようになり…子供達を不安がらせることを回避したかったのだ。
…何よりこれ以上、罪を重ねることが苦しかった。
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「『Angelー03』、高階 マサキ?」
その日、待ち構えていたふうな上司…赤木リツコに正面から難詰されて、驚かなかったといえば嘘になる。
「…成程、ナオコさんの娘か。…道理で似てる。赤木なんて姓、ありふれちゃいないが希少ってわけでもないからな。それと、髪の色で騙された」
玲瓏美人、というのはこういうのを言うのだろうな、という怜悧な美貌にかすかな緊張感を滲ませて、彼女は反論した。
「人聞きが悪いわね。私は何も騙してなんかいないわよ」
「ごもっとも。まあ、訊かれないのを幸い黙ってたことに関してはお互い様ってことか。いいだろう、あなたには聞く権利がある」
赤木ナオコ博士が、研究所の一室で生活していた頃の自分を見て…同い年くらいの娘がいるという話をしていたことを今更のように思い出す。命懸けで生まれたばかりのカヲルを守ってくれたのに、ゼーレの正メンバーですらない碇ゲンドウあたりにむざむざ殺させてしまった悔恨はいまだにあった。だからこそ、何も知らないでいたことでゼーレのマークから外れているリツコを巻き込むことには当然抵抗があったのだが。
「私は、真実が知りたいだけよ。それから後は私のことだから、あなたに心配して貰う必要はないわ」
真正面からそう言い切る、逃げを許さない眼差し。いっそ冷気さえ感じさせるそれには、勝てる気がしなかった。
結局、彼女…赤木リツコには全てを話した。まさか研究のパートナーとなることを申し出られるとは思わなかったが。
母のためではない、自分がそうしたいからだ、と言った。
それが何故なのか、彼女は結局教えてくれることはなかった。
彼女が加わってくれることで、諸々やりやすくなることは確かだった。研究が完成したとき、それを渡す手段をゼーレに委ねなくて済むならその方がいい。
――――非情な役回りであることは理解していた筈だ。それでも彼女は揺るがなかった。…揺るがないと思ったからこそ任せた。
そしてそれは、間違っていなかった。
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コード・Deification Shutdown System Choker…連中にネーミングセンスを求めるのは無益とは思ったので、提案されたその名前にマサキは殊更異をとなえることはしなかった。
使徒細胞の保有者に、変化が始まることでおきる急激な身体の再構成…それに伴う細胞分裂を完全にブロックする…使徒化することを防ぐウィルス。
時が訪れてしまったとき…ATフィールドでもって首を切断するようなことをしなくても確実に機能停止させるための保険。
ただし、その管理は決してゼーレにだけには任せない。効力が確認されたら、その運用は開発依頼者に委ねる。それがゼーレとかわした協定であった。
開発依頼者は…ゼーレの正式なメンバーでもあったセラフィン・渚=ローレンツ。彼女亡き今、権利は相続人に移ることになる。
『…私を月へ帰して。ここは、寒すぎる』
そう懇願するセラフィンの首を、マサキは切り落とした。完全な変化を阻むことで、周囲の生命をすべて無に帰す爆発はごく小規模で終わったのである。
使徒化は一種の防御反応だ。生命の危機に際して、自己を保全、あるいは自身の種子を遺すための本能といっていい。
使徒細胞を有する者全てにそのリスクがあるとは限らない。事実、Angelー06のコードを持つ鯨吉イサナはあの爆発で負った胸腹部開放創が原因の重篤な感染症から何度もその危機に瀕しながら、その度に生還している。ただ、そのことは決してゼーレの安心材料にはなり得なかった。危機のレベルが違ったのではないかと解釈されたのだ。それだけ、あの事件はゼーレを震え上がらせた。
DSSチョーカーはゼーレにとっては使徒を制御する為の切り札。しかし使徒細胞を有する者には、ヒトとしてその生を終えるための最終安全装置。そしてセラフィンの望み。
その機能を証明する方法は、一つしかない。だが、ゼーレを納得させるにはそれ以外に方法はないだろう。
だが、構わない。
セラフィンのように、地上が寒いとは…マサキは思わなくなっていた。大切なものはたくさんある。それを守ることができるなら、それでいい。
20歳(それとて本当の年齢かどうか判ったものではないが)を過ぎたあたりから、マサキは原因不明の不調、後半になると突如とした心停止を起こすようになっていた。リツコは当初、それを不完全なウィルスの作用と考えたようだが、実のところマサキには見当がついていた。
身体を維持出来なくなっていたのだ。
LCLから出て十数年。よく保ったというべきなのか、脆かったと言うべきなのか。だが、このままこの身体が不可逆的に機能を停止する危機に晒されたら…おそらくセラフィンの時と同じことが起こる。マサキはATフィールドを行使できる。それが唯一、数限りなく作り出された実験体との違いだ。しかしまた、それは使徒細胞を保有する身体に使徒化を誘発する因子となる。
業腹だが、利害は一致したのだ。
セラフィンの言うところの祖父さん…ゼーレCEO・キール=ローレンツは名状し難い表情でマサキの提案を了承した。
いずれ、研究の結果はゼーレのメンバーとしての権限と一緒にセラフィンの子へ渡される。それはとりもなおさず、ゼーレによる使徒のコントロールという名目にははずれない。自分の曾孫がとんでもない重責を負わされることと、生殺与奪権を他者に握られるということを天秤にかけて、キール=ローレンツは前者を取ったのだ。
弁護士・真希波マリが、連絡役として忙しくドイツと日本を往来することになった。