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パンドラの箱、見るなの座敷、開けてはならない引き出し。
好奇心は猫をも殺すという。世にその手の警句が多いのは、古今東西知りたがりは多いということか。あの加持という男も、また。
…かつてのタカミのように。
セラ…セラフィン・渚=ローレンツ。…タカミが物心つく前に父親と訣別し家を出た、二十近く歳の離れた実姉。そしてカヲルの母親。セラと呼んでいたことだけは辛うじて憶えている程度の姉が、果たして本当に自分と似ていたのか…写真も残っていないので実際のところはよくわからない。
ただ、あんな言葉と一緒に落涙してしまったことはいまだに悔いている。マサキにとって自分が亡き人の形見でしかなかったとしても、タカミは一向に構わなかった。むしろ、そうであったなら…マサキの辛そうな表情の理由が腑に落ちるのだから。
むしろそのことを、声なき声で詰ったと思われたのだとしたら、それが辛い…。
仕事部屋の電源を落としたディスプレイに映る、自分の暗い顔に気づいてタカミは吐息する。ふと、白く優しい手がするりと頬へ滑り、その心地好さに少し首を傾けて頬を寄せた。
今、この手を伸べてくれるのは…マサキではない。
赤木リツコ。マサキの上司、担当医、そして志を同じくした友人。マサキが「宿題」を完遂するために選んだ協力者。
そして、今は…。
彼女と出会ったのは、大学でのことだった。
データ解析用のアプリを依頼されてから、時々逢うようになった。歳上でもあるし、最初は揶揄われているのかと思っていたくらいだが…そのうち、彼女と話をすること自体が愉しいのだと気づいた。
アプリの依頼を、他ならぬマサキが彼女に勧めたということは、後から知った。
ある日突然、病院から連絡があった。覚醒を維持出来ないほどに病状の進んだマサキの担当医として、彼女が姿を現した時には、驚きのあまり声もなかった。彼女はマサキの意向でその消息について口をかたく噤んでいたから…週に一度は逢っていたというのに彼女が協力者であることさえタカミは知らなかったのである。
マサキがタカミに「宿題」の成果を預けて生命を終えた時、タカミが自失せずに済んだのは…彼女がいてくれたからだった。
「また考え込んでるわね」
頬を滑る手に、タカミは自身の手を添える。
「ごめ…ありがと、リツコさん。でも、大丈夫だよ」
「ほら、その目が笑ってない。…本当に、隠し事には向かない体質だわね。誰かさんも、あなたの半分くらい感情が表情に出れば多少可愛気もあったんだけど」
「サキはそういうの、得意でしたから…」
タカミは苦笑したが、リツコはすっと笑みを消して低く言った。
「…厄介な人に絡まれたものね?」
「あー…加持さん、でしたっけ。…まあ、保安部に動いて貰わなきゃならないような事態にはならないと思いますけどね。どのみち記事にはできっこない。僕はあの人あんまり好きじゃないけど…できることなら葛城さんを早々と未亡人にするようなコトにはしたくないですし」
「そう願いたいわ」
「まあその件については、マリさんに一報入れとけば宜しく取り計らってくれるでしょう。それより僕が心配してるのは、カヲル君のほう…」
「この間の〝相談〟かしら?」
「ええ、まぁ…カヲル君の気持ちは大事にしてあげたいんだけど、それであの子が傷つくようなコトにならなきゃいいなって…そっちのほうが頭痛いんです」
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