そつなく振る舞う、というのも難しいものだ。
 いくら無理矢理連れ出されたからと言って、カヲルがあまり不機嫌を表に出せばシンジの顔を潰すことにもなるだろう。そう思ったから、相応に話もした。勧められれば呑みもした。シンジにも言ったが酒が嫌いなわけではないから無理はしていない。だが、それがシンジにとっては面白くなかったらしい。
 風呂から上がった後、髪を乾かすのもそこそこにベッドに倒れ込んだ。掛け値なしに眠たかった。…だから、夢現ゆめうつつにドアの音を聞いたときも、即座に反応できなかった。
 何度か呼ばれはしたのだろう。あるいは返事をしたのかも知れない。しかし、カヲルが確実に覚めたのは抑え付けられた両肩の痛みの所為だった。
 シンジはカヲルのことを好きだと言ってくれる。そして、概ね・・優しい。だから、拒むことができない。
 …今夜のように、多少機嫌が悪くて扱いが荒くなる時があったとしても。
 それでも、内側から引き裂かれるような充溢感と、全身を喰い啄まれるような苦痛に慣れることはできない。だから…ただひたすら、彼が充足してくれるまで耐え続ける。カヲルにはそれしかできなかった。
 こんな状況がいいわけがない。それでも、シンジの必死な形相を見ていると何も言えなくなってしまう。半ば眼を血走らせ、息を荒げて動き続ける…自分とさして体格の変わらない、言ってしまえば線の細いシンジの身体。そこから、汗が止めどなく滴り落ちる。
 生温なまぬるい雫を身に受けながら感じるのは、得体の知れない哀しさだけだった。寂しさといってもいい。
 ――――――好きだ、と言ってくれるのに。
 何年前になるのだろうか。
 今でもカヲルの脳裏には鮮明に灼きついている。高階マサキの腕の中で声を殺しながら身を震わせる、従兄タカミの姿はひどく美しかった。白い膚を桜色に染め、いつもはもっと色が薄い感があるのに…熱をはらんで濡れたように鮮烈な紅を刷いた唇。焦点の曖昧な両眼を潤ませ、微かに眉を寄せて苦しげではあったが…そこには紛れもない愉悦と、凄絶なほどのつやがあった。
 いつも穏やかで、茫洋とした印象さえある…普段のタカミとの隔たりがカヲルにとっては衝撃でもあったし、もたらされた熱に当時はひどく戸惑った。
 今思い出しても身体の芯が熱くなるような…あんな姿態は、表情は、カヲルには決してできない。
 あれを見てしまった所為、とは言うまい。ただ、愛した者とひとつになるよろこびというものに…自分は過剰な幻想を抱いていたのかも知れないとさえ、カヲルは思う。
 あの日、シンジの行為に怯え、混乱して逃げ込む場所はタカミの処しかなかったのは事実だった。しかし、ひとつには自分が抱いてきた幻想ものの正体を見定めたかったのだ。
 だが結果から言えば…わからなかった。
 タカミが与えてくれたのは、火花の散るような狂熱ではなかった。ただ底のない安寧。触れること、触れられること、互いの熱を与え合うことがもたらす穏やかな幸福感だけだったから。
 あの時知らないふりで訊いてはみたが、既にリツコと入籍し同居も始めていた以上、タカミの性格からいってマサキと切れていたのは明らかだった。マサキの病気のことも一応知ってはいたから、あるいはもう…とは思っていたのだ。タカミが施設を出て独居を始めた後暫くは、簡単なメールのやりとり以外殆ど没交渉だったから…その間にどんな事があったのか、カヲルも詳しいことは知らない。
 7つも歳上のくせに、タカミはカヲルが見ても危なっかしいほどに隙だらけな印象があった。しかしそれは、いつの間にか深い淵のような穏やかな静けさに変わっていた。
 そうさせたのはリツコとの出会いであろうし、また、どんな形だったのかはわからないがマサキとの別離だったのだろう。
 知りたかったことの答えは得られなかったものの、カヲルはその変化を好ましいものだと感じた。
 カヲルが転がり込んだことはさぞかし迷惑だったに違いないが、困りながらも彼が与えてくれた底のない安寧は、少なくともカヲルがかつて見たもの、感じたものを否定したりはしなかったのだ。
 ――――――それでも。
『ねえ、気持ちいい?』
 シンジを傷つけたくはないが、あからさまな嘘も吐きたくない。だから、カヲルはその問いにいつも沈黙で応える。突き上げられる衝撃で洩れる苦鳴が精々だ。
 …シンジがそれを都合良く解釈してくれれば重畳。
 何が間違っているのだろう。苦痛から意識を逸らすために、カヲルは考える。
 答えは、まだ出ない。

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