Happy Birthday

「お母さん!」
 しかしそのひとは、緩慢に振り返って首を傾げ、不思議そうに言った。
「・・・・誰? 知らない子ね」


Akino-ya Banka’s Room Evangelion SS
「Happy Birthday」

Happy Birthday


「ほら、カツミにタケル、ぼさッと突っ立ってないでダイニングの掃除!」
「買い出し組、まだ戻ってこないぜー。フロアの洗浄液がないんだ」
「きゃーっ!ユカリちゃんやめてっっ!お皿が割れちゃうっっ」
「買い出しって誰が出たの?」
「え~? ユカリもやるぅ!!」
「ナオキとユウキ。お財布はイサナに持たせたけど」
「・・・気持ちだけもらっとくわ、ユカリちゃん。だから向こうでミスズちゃんとナプキン折ってて」
「あ、そりゃだめだ。絶対、プラモ屋か本屋かどっちかで引っかかってる」
 十余人が生活していれば、ほとんど月例行事のように誕生日という名のお祭りがやってくる。ミサヲやユキノは散らかりがちなこの「家」の大掃除の名目としてそのイベントを十二分に活用していたし、年少組はその度に振舞われるケーキその他「お祭りメニュー」を楽しみにしていた。
『・・・よく飽きないな、お前ら』
 ・・というのが最年長者の感想だが、そう言いながらもその日を選んだように帰って来てはご馳走にありついているのだから、説得力のないこと夥しい。
「しかし・・・毎度だが賑やかだな・・・」
 帰ってくるなり、誰の科白だか判断するのが一苦労な会話の渦に巻き込まれ、サキこと高階マサキは頭を掻いた。
「・・・・いいタイミングだわ」
 その目前に、小麦粉の袋を抱えたミサヲが立ち止まる。
「兄さん、鉄砲玉みたいなうちの買い出し組を回収してきて。多分駅前のブックマートか、高架下のプラモデル屋さんで引っかかってるから」
「俺が!?」
「そうよ?“立ってる者は親でも使え”って言うじゃない」
「へいへい・・・」
 こりゃタイミングを誤ったな、と思うサキだった。

***

 九月も半ばともなれば、夕刻の風は涼しい。
 タカミが片手に下げた袋の中には、簡単にリボンをかけた箱。もう片方には、つつましい花束があった。
 並木の枝越しに空を仰ぐと、ついと道をはずれ、名も知らぬ大樹の根元に据えられた小さな墓標の前で立ち止まる。
 膝をつき、手にしていた花を供えた。
 ―――――タカミ七歳の誕生日は、あの悪夢の日であった。すべてのものが光と熱に変わり、吹き飛ばされたあの日。あれからもう、10年近い年月が経ってしまった。
 子供たちのうち数人で-あとは小さすぎたから-話し合ってここに石を置いたのは、ここに住みはじめて2年ぐらい経った頃のことだ。無論、ここにあるのは石だけ。形見の一つとて埋まっているわけではない。遺体がどうなったのか、タカミ達が知る由もなかった。
 一つの街が消滅した大災害の跡から、14人の子供達と、ひとりの女性が保護された。・・・結局彼女一人、身元が分からなかったという。保護されたときから重体だったが、10年前のこの日、一人の男児を産んで落命した。
 確かなのは、ナギサ、という名だけ。姓なのか、名前ファーストネームなのか、それすらも分からない。
 だから残された嬰児に、子供たちは彼女の名前を姓として名前をつけた。
 ―――――――渚 カヲル。
 その子が、今日10歳の誕生日を迎える。

***

 タカミが帰ってきたとき、既にパーティは始まっていた。
「おっそーい!! プレゼント担当のくせに遅れるとはいーい度胸ねぇ・・・」
 仁王立ちで遅刻者を指さし、ドスの効いた声で弾劾したのはリエである。
「ごめん! 出がけに准教授につかまっちゃって・・・」
 遅れたのは事実だから素直に謝ったタカミだったが、どうも様子がおかしいと感じて隣のイサナにそっと聞く。
「・・・誰か、リエちゃんにウーロン茶飲ませなかった?」
「あたり。・・・止めたんだけどな、あいつが面白がって、グラスすりかえたんだ」
「・・・リエちゃんがウーロン茶で酔っ払う特異体質って・・・知っててやったな・・・そういう莫迦をするのは・・・」
「俺しかいないだろ♪」
 不意に後ろからするりと回ってきた腕に首を絞められ、思わず息を詰まらせる。はずみで指先から滑り落としてしまった袋を、イサナが慌てて受け止めた。
「何するんですか!プレゼントが壊れたらどうしてくれます!?」
「・・・まず最初にプレゼントの心配かよ・・・・・・・ご挨拶だなぁ」
 解放された直後のタカミのリアクションに、サキは甚だ面白くなさそうに言った。
「出会い頭に首絞めるようなひとにする挨拶なんて知りませんよ!」
「はいそこまでっっ!」
 不毛な口喧嘩を遮るべく、ミサヲが立ち上がる。
「プレゼントも到着して、面子も揃ったことだし、そろそろケーキにしましょ」
 これには全員異議がない。・・・この家で一番強いのが誰か、言うまでもないだろう。

***

 黄色味がかった光が、銀の髪を照らし出す。既に陽は落ちており、照明を消された室内には、10本の蝋燭の光だけ。
「・・・じゃ、いくよ」
 今日の主役が胸いっぱい息を吸い込んで、蝋燭に息を吹きかける。・・・が、いかんせん、15人に行き渡るほどのケーキは表面積が大きく、したがって蝋燭もその広さに見合う間隔で立ててあった。カヲルの肺活量では、当然ながら全部吹き消した頃には息が上がっている。
「おめでとうー♪」
 それでも無事に最後の一本を吹き消した時、ユカリが拍手の口火を切った。
 拍手が鳴り止むまでの時間でようやく息を整えたカヲルの前に、件の箱がユカリとミスズに抱えられて進み出る。
「ねー、もっと綺麗な箱なかったのー?じゃなかったらラッピングするとかさぁ」
 この期に及んで担当者に文句をつけるユカリ。担当者にしてみればリボンが精一杯だったのだが、子供は結構残酷である。
「ごめんごめん、包み方とか、良く分からなくて」
「・・ん・・ま、いいか。はいっカヲルくん!」
 ――――――照明がつけられ、さっそく披露に及んだプレゼントの中身は、陶器の鉢に植えられた花だった。
 芳香をもつ白い花。
「へえ・・・これ、なんの花?」
「Cape jasmineだよ。お隣の学部で作ってたんだけど、綺麗だし、いい匂いだから一株譲ってもらったんだ」
「植木鉢はねー、あたしたちで選んだの♪」
 ミスズがユカリと顔を見合わせて、得意そうに微笑う。一方で、打ち合わせ済みとはいえ現物を初めて見たユキノが不思議そうに花に顔を近づけた。匂いをかいで、曰く。
「Cape jasmineって・・・これ梔子くちなしじゃないの?何で今ごろ咲いてるのよ」
「・・・・なにせ遺伝子工学科おとなりから譲って貰った代物だから」
「ふーん、結構フツーなものも作ってるんだ」
 ・・・・さすがに、一瞬リアクションに窮する。
「あのねユキノさん、遺伝子組み換えっていっても、そう無茶苦茶怪しいものばかり作ってるわけじゃないんだよ」
 タカミの言葉に『あ、そうなの』で納得してくれたが、この会話を花を譲ってくれた研究員に話したものかどうか。
「普通のものよりかなり花期が長いそうだよ。露地でも十分根付くタイプだけど、あまり大きくならないから、そのまま部屋の中に置いても大丈夫だって。まあ暫く育ててみてごらん」
「ふうん・・・・・・みんな、ありがとう。大事にするね♪」
 カヲルが最上の笑みをした。・・・・ユキノは、カヲルのこういうときの笑みを常々こう評している。
『天使みたいな微笑よね』

***

 ケーキもご馳走も一段落して、テーブルの上は食後のお茶が並んでいた。
「ひょっとして、あのひとの処へいってたのか?」
 サキの問いに、タカミは苦笑して答えた。
「准教授につかまってたのは本当ですよ。でも、そのあとであのひとの処へ供える花を用意してたら、おそくなったんです」
「いいのか・・・カヲルを連れていってやらなくて」
「カヲル君が、もう少し大きくなって、そういうことを気にしはじめたら教えてあげればいいかな、と思っているんですが・・・」
 グラスを揺らしながら、マラカイトグリーンの瞳は迷っている。
「・・・あぁ、ナギサさんとこ?」
 口をはさんだのはイサナである。
「それにしたって、タカミもたいがい記憶容量が大きいよな・・・ナギサさんのこと、俺もうほとんど思い出せないぞ」
「・・・正味10日もいっしょにいなかっただろう。仕方ないよ」
 タカミの笑みの苦さに気付いて、サキが話を変えようとした時。
「ね、タカミ」
 カヲルが、にこにこしながら年長組3人が固まっている側へ来て立っていた。
「こないだ借りた本ね、ちょっと分からないところがあるんだ。教えてよ」
「いいけど・・・今から?」
 一瞬後片づけを気にしたタカミだったが、ミサヲ達が「行きなさい」というゼスチュアをして見せたので、引っ張られるままに立ち上がった。
「・・・・・さらわれたな、サキ?」
 イサナが意地悪い笑みをする。憮然とするサキ。
「・・・ま、今日の主役だからな。これぐらいのワガママは聞いてやっていいさ。・・・・それにしても、何の本借りたって?」
「微積分だったかな? 何とかいう物理の難しいやつ」
「微積は物理じゃないぞ」
「細かいことは気にしないのさ」
「・・・お前よくそれで設計なんかやろうと思ったね」
「大きなお世話。ま、いずれにしろ10歳の子供が読んで面白がるような本じゃないことは確かだな。やっぱり一寸違うよ、あの子は」
「・・・・かわいこぶってるが、あれでIQが200近くあるらしいから、そりゃ小学生の読むようなモノは莫迦莫迦しくって読んでいられないだろうな・・・」
「泣きも笑いもするけど、ヘンに冷静なとこあるしな。カヲルだったら、あの件のときでもマイペースだぞ、きっと。・・・・俺なんか、みっともない話だけどわんわん泣いてたなぁ」
「あのときに泣いてない子なんかいなかったさ」
「お前、泣いてなかっただろ」
「泣かなかったんじゃなくて、泣けなかったんだよ。ミサヲの手前弱音は吐けんし、なんせ俺が一番最年長だろう。・・・あれで結構、つらかったぞ」
「苦労したんだねェ、惣領ドノは」
「・・・ただ、俺が憶えてる限りでひとりだけ、絶対に泣かなかったのがいた」
「ミサヲちゃんだろ」
「・・・・・・・・・・・・・・・タカミだよ」

***

 栗色の髪と、マカライトグリーンの瞳の少年が救護所に連れてこられたのは、サキよりも三日ほど後のことだった。
 努めて優しく質問しようとする看護師がめんくらうほど、自分の名前、住所等を淀みなく答え、泣くことなど思いもよらないほど、毅然としていた。
『別に、泣かなかったんじゃなくて、泣けなかったんですよ』
 それは後に、サキがタカミ自身から聞いた言葉だった。

***

 その日、タカミは母親と買い物に出ていた。
 突如として押し寄せた爆風に、繋いだ手に必死でしがみついたのを憶えている。
 瓦礫の中で気がついたとき、母親の姿は側になかった。
 ・・・・ただ、タカミはまだ手を繋いでいたのだ。
 爆風で、上膊部から引きちぎられた母親の手と。

***

「ナギサさんが?」
「ひどい怪我で顔なんかわかりゃしなかったっていうし、なんていうか、その・・・ショックでまともじゃなかったらしいし・・・・それでも右腕をなくしてた、っていう一点で、タカミが一瞬そう思ったのも無理ないんじゃないかな」
「・・・で、本当のところはどうなんだ」
「真相は闇の中。なんせ、身元確認がとれないんだから。タカミの奴、怖いこと言ってたな。自分があの腕をなくしたりせず、ずっと持っていたら、それなりに鑑定の方法はあっただろうに・・・・って」
「・・・んな迂遠な上に怖いことしなくったって、タカミとの間でDNA鑑定でも何でもやりゃ早いんじゃないのか?」
「・・・・無理だよ。血は繋がってないんだそうだ。本当の母親とは物心つく前に死に別れてるんだと」

***

 保護された身重の女性が、右腕を失っているという話を聞いたとき、タカミは事情を話して会わせてくれるように頼み込んだ。
 大人達は、かなり渋った。彼女の怪我の状態から言えば、無理もなかっただろう。それでもなんとか会わせてくれたとき、タカミが泣くことさえも出来なくなったのは、肩の部分から抉れたようになくなっている腕の所為でもなければ、包帯だらけの顔を見た所為でもなかった。
 ベッドの側から呼びかけたタカミに、そのひとは緩慢に振り返って首を傾げ、不思議そうに言ったのだ。
『・・・・誰? 知らない子ね』
 変わり果てた声。それが確かにあのひとのものであったのかと言われれば、タカミに断言はできない。
 それでも、突き放されたような感覚に思わず立ち尽くし、子供たちが集められた救護所へ連れていかれるまで、一言も発することが出来なかった。

***

 ―――――――――だがタカミは、今となってはもう、そうした詮索に何の意味もないことに気付いている。
 仕事で忙しかったらしい父の記憶はもとよりあまりない。義母の記憶さえも年とともに薄れている。
 生まれてきたカヲルが、かのひとと同じ銀の髪を持っていたことに、当時少なからず心を揺らしたのは確かだ。だがやがて、この家で生活する皆の間で育ったものに気付く頃・・・・タカミはそれに拘泥することの愚を知った。
[su_spacer size=”80″]
 尋ねられた箇所について考えをまとめたタカミが、ふと本から目を離してカヲルを見る。カヲルは、ラグの上で寝転がったまま静かな寝息を立てていた。タカミは笑い、栞を挿んで本を閉じる。
「・・・明日にした方がいいね」

 カヲルをベッドまで運ぶと、銀色の髪にそっと触れた。
「・・・Happy Birthday,カヲル君・・・・」

――――――――Fin――――――――

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