朝凪の海岸には他に人の姿もなく、彼のほかに動くのは波だけだった。
元来、あまり人のこない浜辺ではあったし・・・・なによりまだシーズンには少し早い。
朽ちかけた廃船にひょいと駈け上がった時、息を呑むような声に少しだけ慌てる。
――――――― 人が?
少しだけバランスを崩して、仰向いた竜骨に手をついてしまう。
廃船の陰に、水色の少女がいた。
水色のサマードレス。白い帽子からこぼれる水色の髪。
貝殻でも拾っていたのか、横転した小さなバスケットの中から貝殻が幾つも転がり出ていた。驚いたはずみに取り落としてしまったのだろう。
「・・・ごめん。びっくりした?」
少女はしばらく鮮やかな紅瞳を瞬かせていたが、かぶりを振って微笑む。
帽子が揺れて、薄青いリボンに挟んであった花が静かに滑り落ちた。
「Angel’s Summer」
午後の微風が、かすかな潮の香を運んでくるテラスデッキ。
「・・・平和だねえ」
「・・・・・・・そうですね」
光るような白さの雲、そして海と空の青。よく成長したフェニックスが苛烈な日差しからテラスを守り、微風とあいまって適当な涼しさを提供している。・・・およそ、絵に描いたような夏の光景でありながら、その中の人物はそんな余裕とは無縁にぐだれていた。
ひとりは長椅子に身を預けたまま額に濡れタオルを載せていたし、もうひとりは庭へ降りる階段に腰掛けて先刻から欠伸ばかり。
「生きてるか?」
「・・・・・・・」
今度は既に返答すらない。
「・・・・だめだこりゃ」
階段に腰掛けていたほうが、そう呟いて肩を竦める。その後頭部に、床洗浄液のボトルがべん、という間抜けな音を立ててぶつかった。一瞬で加害者の見当がつく。
「ミサヲ~!」
「兄さん!徹夜明けで死にかけてる人間をいたぶってないで、ちょっとは働いてよ!」
加害者はテラス窓をいっぱいに開けて、モップ片手に仁王立ち。エプロン姿がはまりすぎるほどはまっていた。
「死にかけてんのは俺も同じだっ!ずーっと運転手してた俺の身にもなってくれ」
「タカミは仕事で徹夜したんだし、熱中症おこしかけてるんだから。欠伸ばっかりしてるのは頭に酸素がまわってない証拠。少しは動いて血流回復させないと、ボケるわよ!」
「・・・我が妹ながら血も涙もないヤツ・・・・」
ぼやきながらも、長椅子に一瞥をくれて立ち上がる。
「ミサヲちゃんに逆らおうなんて半世紀早いですよ、サキ」
「おまえ・・・・眩暈で動けないくせに、ンなこと言うためだけにわざわざ口開くか?」
「客観的事実です」
「そーさな・・・その《客観的事実》に基づいて推測するに、あっちの庭先で力一杯ヒマそうに遊んでるヤツらがいるのに俺が酷使されてるって事実は、やはり俺が不当な虐待をうけてるという仮説を成立させると思うんだが」
サキ・・・高階マサキの言葉にタカミは少しだけ濡れタオルを持ち上げて、夏ばてと疎遠なエネルギーで溢れ返っている前庭で、ビーチバレーに興じている子供達を見た。
「子供は遊ぶのと学ぶのが仕事。大人は働くのが仕事。はい、ご苦労様」
そう言って持ち上げた濡れタオルを当て直す。
「・・・憶えてろよ~」
恨みがましく唸るマサキにモップと洗浄液を渡しながら、ミサヲ。
「あ、二階のベッドルームだけとりあえず使えるようにしたから、タカミは上がって。そんな硬いとこで寝てたら、身体が痛くなるわよ」
「了解・・・ありがと、ミサヲちゃん」
タカミが緩慢に身を起こす。
療養所の一隅にあった、ひとつの「家」。そこで育った15人の子供達もその半数近くが巣立ち、それぞれの生活をはじめている。だが、年に数回のこうした集まりで、15人のうち一人でも欠けた事はない。
血の繋がりなど関係ない。皆は間違いなく、「家族」だった。
***
15年も前のことだ。一般には隕石の落下と公表された大爆発で、ひとつの街が消滅した。
その中で十数人の子供達の生存が確認される。一瞬にしてすべてを失った子供達は、療養所の一隅、職員宿舎を改築して造られた「家」で生活する事となった。
高階マサキ。最年長ということもあって往々にして長兄的役割を負わされたが、順序として彼が一番最初に家を出た。
次がイサナ。10代前半のころは患うことが多く、学校もあまり行けなかったが殆ど独学で大学へ入った。20歳を過ぎる頃にはすっかり回復して、念願の海洋生物学の研究にも携われるようになっていた。
ユキノは音大へ進み、レミとミサヲは共に看護師の資格を取って働きはじめている。ナオキとユウキは夢がかなって市立の小さな天文台の学芸員として就職が決まっていた。
そして彼・・・榊タカミもまた、「家」からほど近いところに住んでSEとしての仕事と、研究に携わっている。
かつて、ハッカー紛いのことにまで手を染めて件の爆発の事を調べ、自分で自分をひどく追い詰めた事もある。だが、今はそんなこととも疎遠になって、好もしい静穏に包まれた日々を送っていた。
適当に幸福なのだと、自身では思っていた――――――――。
窓という窓を開け放ち、午睡には最適な微風がすり抜けるその部屋は、本来ベッドルームとして設定されてはいるのであろう。だが今は部屋いっぱいにエキストラベッドが運び込まれて、どちらかというと合宿所のような様相を呈していた。
微風に頬を撫でられ、タカミは薄目を開けた。
窓から見える空の色というより、幾分涼しくなった風に時刻を知らされる。
結局、午後いっぱい寝倒したような格好になってしまったな・・・・と幾分ぼんやりした頭でそんな事を考える。
実のところ、昨夜は殆どまともな睡眠をとっていなかった。そこへもってきて朝っぱらから車に揺られてきた所為で体調がガタガタだったが、寝が足りたお蔭で頭と胃の不快感だけは消えていた。
起きようとして、腕の妙な痺れに気がつく。投げ出した腕にかかる重みの正体はすぐに知れた。
――――――わだかまる銀色の糸。印象的な紅瞳はかるく閉ざされ、穏やかな寝息と共に小さく肩が上下している。ベッドカバーもとらずに倒れこんでいたタカミのそばに、後からもぐりこんだものと見える。
「ただいま、カヲル君」
タカミは笑って、その銀糸のような髪にそっと手を触れた。
「全く大した騎士様だよ。お蔭で手も出せやしない」
カーテンを引く音に身を起こすと、サキが窓際に立っていた。夕刻になったので窓を閉めにきたのだろう。
「莫迦いわないでください。昨夜さんざっぱら人の予定を狂わせておいて・・・・・全く、あの仕事が上がらなかったら、ここに来られなくなるところだったんですよ!?」
「そんな怖い目で睨むな。悪かったよ」
「悪かったと思うんなら自重してください・・・・・・」
目を伏せ、言葉の後半をやや濁す。サキは笑ったが、ふとその笑みを消して言った。
「・・・・カヲルの様子がな、おかしいんだと」
「・・・・え?」
「おまえが遅くなるってだけで相当おかんむりだったらしいが、今朝からえらく塞ぎこんでるらしい」
「何か、あったんですか」
「それがわからないからミサヲが心配してる」
それはそうだと合点したものの、さしあたっては見当がつかないタカミは緩慢に頭をめぐらせてカヲルを見た。
「どうしたのかな、一体・・・・」
そう言われてみれば、いつもの調子ならタカミの寝不足など些かも斟酌せずにじゃれついて、結果的に起こしてしまうところだ。
用ありげに上がってきた割に、起こす事もせずただ丸くなって傍で寝入ってしまったのは、さては何かを言い損ねたのか。
俄かに枕がなくなって具面がよくないのか、カヲルがかすかに頭を動かして縒れた上掛けを手繰る。
そんな仕草を見ながら、タカミはもう一度銀の髪をかるく梳いた。
***
夕食風景と言うよりパーティ会場といったほうが相応しい光景ではあった。
ダイニングと続きになっているリビングのアコーディオンカーテンを取り払って並べられたテーブルには、おにぎりとオードブルの皿が所狭しと並んでいる。前面のウッドデッキに面したテラス窓もすべて開け放って、デッキの上ではカツミ達がバーベキューセットに火を起こそうと躍起になっていた。
「よっサキ、久しぶりー」
およそ準備が整った頃にひょっこりと姿を現したのはイサナだった。肩に担いでいたスキューバの道具を籠に放りこむと、威厳と疎遠な長兄の姿を見つけて軽く手を上げる。
「ようやく帰ってきたな半魚人め。そんなに海に浸かってばかりいると、しまいにゃ鰓が生えるぞ」
「・・・そいつは悪くない考えだなぁ。そうしたらあんな重たいもん担いで潜らずに済む」
「イサナ、目がマジ・・・」
真面目にそっちの方向へ思考が傾いてしまったイサナの横から、タケルが少しだけ身を引いた。
「こらイサナぁ!日没までには帰って来て手伝えって言ったでしょ!!」
両手でおむすびの大皿を抱えたリエがキツいまなざしで弾劾する。ミサヲと色違いのエプロン姿なのだが、化粧っ気のない割に艶のよい紅唇とドスの効いた声の所為で、その雰囲気が全く別物である。この勢いで怒鳴られたら普通二、三歩は後退したくなるところだが、言われた方も泰然としたもので、笑いながらひょいとクーラーボックスをデッキへ放り上げた。
「悪い悪い。いい標本がとれたんでつい長居しちまった。代わりといっちゃ何だが食べでのありそうな貝も拾ってきたから、足しにしてくれよ。あぁ、ラベルつけてるやつは標本だから、食うなよ?」
「ちょっと、ちゃんと食べられる貝なんでしょうね」
ミサヲが怪訝そうにイサナが持ってきたクーラーボックスを検分する。
「大丈夫だって。海洋生物学者の眼を信じなさい」
「・・・・・とか言って、去年見事にアタリをひいたのってイサナじゃなかったっけ」
昨年、イサナは自分で獲ってきた魚にあたってひどい目にあっている。イヤなことを思いだしたか、一瞬苦虫を噛んだような顔になった。
「あれは半分加熱不足だろう。そぉいう一番イタい指摘をするのは・・・タカミか!」
「久しぶり。元気そうだね」
まだ寝ぼけ眼のカヲルを椅子にかけさせながら、タカミが笑う。カヲルは異常に寝起きが悪く、完全に目がさめるまで少々時間がかかるのだ。
「ねえ、この小さなタッパ何だったっけ?冷蔵庫に入ってたんだけど」
キッチンからでてきたユキノは掌に半透明のタッパを載せていた。
今日の夕食スタッフ全員が首を横に振ったので、怪訝そうにユキノが改めてそれを見る。
「・・・・変ねえ」
「開けてみたら?とりあえず」
「それもそうね」
ミサヲの言葉に、ユキノが蓋に手をかける。
「・・・・・あ、それいれたの僕!」
弾かれたように立ち上がったのは、カヲルだった。寝惚けていたので話題に気がつかなかったのだ。
「なんだ、そうだったの。一体なあに?」
カヲルに手渡しながら、ユキノが訊ねる。だが、受け取ったカヲルは礼を言ったものの視線を泳がせていた。
「・・・・・?」
そうこうするうちに準備が整い、食事が始まる。
注意が分散するのを見計らうように、カヲルが切り出した。
「ね、タカミ。これ、何だかわかる?」
「何?」
カヲルが差し出したのは、件のタッパだった。カヲルが蓋を取ると、かすかに芳香がする。
「みせてごらん」
果たしてカヲルが塞ぎこんだのと関係あるのかどうか。ともかくも、タカミはそれを受け取った。
中には、一輪の花。白い・・・。冷蔵されていたとはいえややしおれかかってはいるが、芳香の正体であることは疑いなかった。
「どうしたんだい、これは?」
訊ね返すと、おそろしく真剣なまなざしとぶつかる。とりあえずしばらく考えたが、諦めて隣へ振った。
「・・・・・ミサヲちゃん、これなんの花だっけ?」
ミサヲは一目見て言った。
「あら、花縮砂ね。いい匂いじゃない。この辺に咲いてたの?」
「う、うん。ありがと」
カヲルはまた元通り蓋をして、立ち上がるとキッチンへ行ってしまった。多分、また冷蔵庫にでもしまったのだろう。
「・・・どうしたの?」
「さあ・・・・」
タカミとしてもそう答えるしかなかった。
「カヲル君、今朝から様子がおかしいって?」
「そうなのよ。何かね。ちゃんとごはんも食べられるみたいだし、身体の調子が悪いわけでもないと思うんだけど・・・。それにしてもいわくありげね、あの花。大事にとってたわけでしょ?」
「・・・どうしたんだろうね・・・」
「あまり自生するような花じゃなかったと思うから・・・何処かでもらってきたのかもね」
「この辺、まだ他に家があるの?」
「ええ。そんなにたくさんはないけど・・・・まあ別荘地だし、人がいるかどうかは別だわね」
「・・・・・・」
「あとで話聞いてあげて。やっぱりあの子、タカミが一番喋りやすいみたいだし」
「うん、勿論だけど・・・・」
「なぁに?タカミまで。何か歯切れ悪いわよ」
「・・・・・・・いや、そこのところが問題といえば問題なんだよね」
***
タカミが家を出る時、一番激しく反応したのはカヲルだった。
殊更に家を出なくても、十分通える距離だというのがその理由だった。
他の者は、それより前に進学で一時家を離れたり、マサキやイサナの例もあることなので特に止めだてもしなかった。タカミのアパートというのも家から目と鼻の先であり、殆どの者にはむしろイサナ達より家を出るという感じが薄かった所為もある。
タカミとしては、大学後半から研究の関係で時間が酷く不規則になってしまったことと、仕事を家に持ちかえることもあるため、仕事場の意味もあって部屋をかりることにしたのだが、思わぬところで反発をくって正直なところかなり当惑した。
『ほら見ろ、おまえが際限なく甘やかすから』
とマサキあたりはまぜっかえすが、タカミとしてかなり真剣に胸に手を当てて考え込んでしまう。
―――――爆発の生存者たちのうち、ただ一人、外傷がひどく保護後まもなく亡くなった人物がいる。
身重の女性で、ナギサという名前以外、何も分からないままであった。その名前すら、姓かファーストネームかさえわからない。彼女の命と引きかえるように、その子は生まれた。皆で相談してつけた名前は、「渚 カヲル」という。
ナギサというひとが、あるいは爆発で引き裂かれたタカミの義母であったかもしれないということを知っているのは、タカミ自身を除けばマサキぐらいのものである。だがタカミはその事に関してある時期を境に口を緘していたし、マサキもまた殊更に掘り返したりはしなかった。
その事と関与するかどうかはともかくとして、タカミがカヲルに甘かったのはほぼ周知の事実ではあった。人並み外れた知能を示しながら世辞にも口が達者とは言いがたいカヲルが、他者の感情を察する事に長けたタカミに懐いていたことは言うまでもない。
だが、カヲルとて特に学校になじめないような様子はなかった。だから、タカミもさして気に留めたことはなかったのだ。
ゲームに興じていた悪童たちも寝静まり、窓の外のかすかな枝鳴りも聞こえるほどの静寂。
タカミは眠っているカヲルの肩にタオルケットをかけなおして、闇の中に視線を投げた。
「・・・・サキ、起きてるんでしょう」
「まあな」
ずらりと並んだベッドの、一番扉寄りのベッドから声がした。
「・・・・・ちょっと、いいですか?」
***
淡い月を受けて、砂が銀色の光をはねていた。
朽ちかけた廃船が、竜骨を天に向けて横臥する。遺棄されてからの年数を物語るように、船底は貝殻よりも陸生の植物を蔓延らせていた。腐蝕防止に張られた銅板もほとんどが剥げ落ち、残ったものも緑青をふいている。
タカミが一動作で竜骨の上に飛びあがる。だが、朽ちたりといえど頑健な竜骨はきしりともいわなかった。
「なにやってんだ、ガキみたいに」
「面白いですよ。サキもやってみたら」
「遠慮する。・・・ったく、デスクワーク専門の癖に、妙に身が軽いよな」
竜骨の上を渡りながら、タカミが笑う。・・・その双眸は、淡すぎる光の下で、やわらかな孔雀石の翠を呈していた。日光の下ではやや淡い焦茶に見えるだけだが、月光や光量のすくない照明ではその色彩がはっきりする。
「座ってばっかりいるから、たまには身体を動かしたくなるんじゃないですか」
だが、マサキの視線がその翠色に向いている事に気づいてか、すこし目を伏せた。
暫時の沈黙。
「サキ、あの子が・・・・・眼の事を気にしているの、聞いたことがありました?」
「ないな。何か、言ってたか?」
「・・・・・ええ」
タカミの返答には、わずかな間があった。
「あの子、今までそんなこと言った事なかったんです」
「今日、突然に?」
「・・・・・・・」
タカミが前髪を書き上げる動作で目許を隠す。
「髪のことも含めて、あの子の容姿が目立つ事ぐらい・・・・わかってた筈なのに。・・・・・今までずっと我慢してたのかな、と思ったら・・・・」
「莫迦」
素っ気無いというかにべもないというか、タカミが一瞬声もなくなるほどにあっさりとマサキが断じる。
「そんなことまでおまえが気に病んでどうするんだ。カヲルだってもう15だぞ。気持ちの折り合いぐらい自分でつけるさ」
一見繊細げに見えるカヲルが、実のところ結構図太い事をマサキは知っている。それに大体、家の外でカヲルの容姿が問題になるのなら、顕在化するのはもっとずっと早かった筈だ。
「そういわれると一言もないですけどね」
吐息に苦笑を混ぜて、竜骨の上に腰を下ろす。
「でもね、あの子が言うからこそ、重い問いってのもあると思いませんか?」
「というと?」
「聡い子ですよ、あの子は。そのカヲル君が自身の眼や髪の色に疑問を持ったとしたら、それはつまり、自身の出生そのものに対する疑問なんです。僕らには自分を確かめるべき記録と、記憶の断片がある。だけど、あの子にはそれがない」
「別に、おまえの咎じゃ・・・・」
舷側を滑り降り、語気を強めてマサキの言葉を遮る。
「・・・・あの子は恐れてる。自分の眼と髪の色を」
「カヲルが・・・・?」
「怖くないかって・・・・・訊くんです。真剣通り越して、泣きそうな顔で・・・・あの子は」
声がうわずり、早くなる。
「タカミおまえ・・・!」
おまえのほうが泣きそうじゃないか、と言う代わりに、マサキは行動を起こしていた。
俯き加減な顎を捉え、動揺を助長して流れつづける言葉を唇で塞ぐ。タカミがびくりとして身体を硬くしたが、抵抗になる前に廃船の船体に押しつける。体勢を崩したタカミの手首で、銀のチェーンブレスレットが細い音を立てた。
――――唇が解放された時、その唇の間から漏れたのは細い吐息。
「・・・・・・・っ・・・・」
タカミは言葉を継ごうとして、こみ上げた何かに喉を堰かれた。空しく閉じられた唇を先刻よりは幾分優しく啄まれ、突っ張った膝から力が抜ける。
周到な指先が、襟元を緩めていく。
あらわになった首筋から襟元を唇でなぞった時、マサキの耳朶を微かに掠れた声が擽る。拒絶の言葉であったようでもあるし、そうでなかったかもしれない。
***
潮騒に紛れ、ひそやかに緩んでいく息遣い。
背中から包み込むように抱き留められているタカミの身体は、まだ時折びくりとはねて呼吸を乱す。わずかに声が漏れることもあった。
緩められた衣服の下で、晧い膚がかすかに桜色を含んでいる。
「悪いな、傷がいったか…」
声を殺そうとしてタカミが口許に当てていた左手。浮き上がった銅板にでも擦ってしまったか、ブレスレットに緑青が付いていた。それに気づいて、マサキが素直に謝る。
「いつも…つけてるから…結構傷だらけ…それは構わないけど…っ…! 謝るのはそこですか。真面目な話をしてるのに…なんでそうやってはぐらかすんです…」
「おまえが悪い」
そう断じて、首筋にしるしを刻む。掠れた声があがり、タカミがもう一度背を撓らせた。
「こんなとこまで連れてきて、そんな切なそうな顔で煽るからだ。いくら俺でもリミッターがとぶぞ」
「煽ってなんか・・・・・ぁ・・・・っ・・・・・・・」
「説得力ゼロだな」
緩めたシャツからしのびこませた指先で、熱を孕んだ胸の紅を探り出す。
「・・・・っ・・・!」
栗色の髪をマサキの肩口に押しつけて、喘ぐ。探り出す指先を拒むために重ねた手は、力を失いただ追随していた。下肢へ滑った手に再び追い上げられ、呼吸を詰める。
ある一瞬で、弓なりに反った身体が弛緩する。ゆっくりと沈み込む身体をマサキの腕に預けて、タカミがかすかに吐息した。
「・・・・・・で、もうひとつの理由はなんだ?」
もう一度首筋に軽く接吻けて、マサキが問う。
「おまえがことカヲルに関しちゃ虚心になれないのはわかってるつもりだが、それだけでここまで荒れやせんだろ」
抱きしめられたまま、タカミが憮然とした。だが、軽く目を伏せることで何かを追い出し、呼吸を整えてからゆっくりと口を開く。
「今朝、カヲル君はここで・・・・一人の女の子に遭ったんだそうです」
「それで?」
「名前も、何処に住んでいるかもわからない。・・・・でも、その子はある特徴を備えていた」
「・・・・・まさか」
マサキの腕が緩む。タカミはその腕をすり抜けて、廃船に凭れ掛かるようにして腰を下ろした。
「銀髪紅瞳・・・・・カヲル君がにわかに自分の眼の事を気にし始めたのは、その所為もあるみたいなんですよ。でも、カヲル君は知らない・・・・教えてない。
研究所が隠匿した僕達のカルテ、通称Dead-Sea Files・・・・・。その報告書の一枚は、あの紅瞳が・・・母体内感染の影響である可能性を示唆してる」
タカミの口調は、先刻までの彼と同一人物とは思えないほどに冷静で・・・そして辛辣だった。
「Angelの刻印を受けた生存者は、カヲル君までで17名。AngelのNo.も17で止まってる。でも、家に集められた子供は15人。亡くなってるナギサさんをふくめても、一人足りない。研究所の親会社…もしくはその関係者が隠匿していたとしたら、合点が行くと思いませんか。
ここらにある別荘の所有者を片っ端から検索してみました。・・・出ましたよ。あの研究所の所長を勤めていた男の名義のものがね。それも、ごく近所に」
「タカミ、おまえ何考えてる・・・?」
タカミは顔をあげ、マサキを見た。ゾクリとさせるような、不思議な翠。
「コードAngel-02。・・・どんなに手を尽くしても見つからなかった、二人目の生存者」
TO BE CONTINUED
Akino-ya Banka’s Room
Evangelion SS 「Angel’s Summer」
「夏服 最後の日 」reboot に関するAPOLOGY…..
さ、がんばってみよーか!
最初に設定書までぶちあげておきながら、言い訳までするのか!とお叱りを受けるのも承知の上。
「暁乃家万夏の隠し部屋」における宿題・「夏服 最後の日」ようやく再開と相成りました。今更か!誰も読まんわい!というお叱りすらもらえない放置っぷりで大変申し訳ないのですが、大家とおんなじでようやく落ち着いてものが書けそうな環境になって参りましたので、ここはひとつ、宿題を片付けよう!と思い立った次第。
初期プロットでは本当に使徒サイドだけでお話が進むはずだったのですが、やっぱりネルフの面々もご登場の様子。でも、おそらくあまりイイ役回りが行きそうにない…。ごめんなさい、ここ天井裏です天井裏!(<意味が崩壊しとる…)
御用とお急ぎのない方のみ、お付き合いくださいませ。
それでは皆様、次回まで万夏が正気でいたら・・・・・いや、何も申しますまい・・・・・・(^^;
2017.7.26
暁乃家万夏 拝