月へ帰ろう
月へ帰ろう ここは寒すぎるから
Akino-ya Banka’s Room
Evangelion SS 「Time after time Ⅵ」

月へ帰ろう
~Time After Time Ⅵ
全生活史健忘。そういう診断が正しいのかどうか、自分には判らない。
何せ、気がついたら小学校も低学年くらいの年齢で、それ以前の記憶は一切ない。家も家族も存在せず、研究所の一室が自室として与えられていた。
普通なら小学校で読み書きと四則計算を習っている年齢だ。それが何故、分厚い専門書、研究レポートを読み…その内容を理解してさらに自分でもレポートを書けるのか。しかし、ある時期まではそれが異常なことなのだという認識さえなかった。
高階さん、と呼ばれることが多い。そう呼ばれるからそれが自分の名前なのかと思うが、どうやらそうとも言い切れない状況があるのだと、膨大なレポートの読解を進めていくうちに判ってきた。
特殊な細胞を用いて発生させた被検体。人間の形をとるまでに成長したそれが、高階マサユキという研究者の事故死と前後して自律動作をはじめた。それが自分。
接触実験のさなかに跡形もなく消滅したその人物の魂が、被検体に宿った。そう解釈されているのだということは推測できても、俄に受け容れがたくはあった。
何せ、記憶はない。家族だという人達の写真を見せられても、何の感興も起きない。それなのに、やりかけだったというレポートの理解はできる。読みこなすには膨大な基礎知識が必要な筈の専門書が何度も読んだ小説のように理解できる。
ただ、周囲の解釈の当否はともかくとして、さしあたり無為でいることには耐えられなかった。だから、研究に加わった。
最初はかなり遠巻きだった研究所のメンバーも、ぶかぶかの白衣で動き回る自分にそれなりに声を掛けてくるようになった。だが、概ねその言葉遣いは成人に対するそれと変わりない。
だから、自分は『高階マサユキ』なのだろうと納得することにした。
――――彼女が現れるまでは。