「おまえら、学校は!?」
「「「「夏休みー!」」」」
 マサキが退院手続きをし、カヲルを「家」に連れ帰ってみると…カツミたちは待ってましたというように群がってきた。
「…そういえば、そうか」
 そもそもカヲルが今回の一件に巻き込まれた経緯を思い出して、マサキは今日何度目かの吐息をした。
「修羅場に足を突っ込まないんじゃなかったのか、カツミ」
「いや、ここならいつでも撤退できるし。気にはなってんだよ?一応」
 具合が悪くなったら自室に引っ込めばいいというわけだ。
「得手勝手のいい奴め。とりあえず、カヲルこいつを部屋に放り込んでこい」
 一応自分の足で歩いてはいるが、まだ半分くらい寝かかっているカヲルをカツミに押し付けて、マサキは客を招じ入れた。
「まあいい、ここに居る奴らには話を聞く権利がある。少々喧やかましいのは気にしないでくれ」


Akino-ya Banka’s Room Evangelion SS 
「Angel’s Summer」
夏服 最後の日 Ⅴ

 もとが療養所の職員宿舎を改装したものらしいから、おそらく食堂か何かだったのだろう。今も結局、食堂兼居間リビングダイニングのように使われているそこは、客と住人併せると結構な人数が入ったが、まだ十分に余裕があった。
 明らかに待合室用の長椅子が転用されていると思しきソファを勧められ、年季は入っているが綺麗に磨かれたグラスで紅茶アイスティを供される。ミサトはそれなりに寛いでいたが、加持は相変わらず居心地が悪そうではあった。もうひとりは、連れて来なければならない人物がいるということで遅れてくる予定だ。
「結論から言えば…事故には違いない」
 マサキが幾分大儀そうに切り出した。
「隕石落下ってのが欺瞞なのは、もう知ってることだろう。生物災害バイオハザードの影響を最小限に止めるための熱滅却処理が、何故か街一つ吹き飛ばすほどの大災害になってしまった。
 それは本来なら地下核実験場並に密封シールドされた場所で行われるべきだったのが、複数の隔壁閉鎖不全があったからだ。完全に閉鎖されなかった隔壁が、言ってみれば大砲の弾に近いかたちで吹き飛ばされて、被害を大きくした。それと、都市構造…地下共同溝にも爆風が侵入して砲身のような役割を果たしてしまった…らしい。俺もよく憶えちゃいないが、街のあちこちで連鎖的に爆発音がしたのはそういうわけだったんだな。なんとなくだが合点がいったよ。
 危機管理が甘かったといえば、それは人災なんだろうな。だが、それを責めてもはじまらん。
 これが、赤木女史から聞いたあの事故の最終報告書の中身さ。当然何処にも開示されてなんかいない。あくまでもゼーレの内部文書だ」
「ひとつだけ…でもいちばん大切なことが抜けているわ」
 ミサトがやや表情を硬くして言った。
「本来は地下施設だけがきっちり灼かれる筈だった、ってのはよく判ったけど…そうまでして灼かなければならなかったモノって、一体何? そこも、聞いてるんでしょ」
 訊かれると思ってはいたが、マサキが敢えて言及しなかったそこを、ミサトは正確に突いていた。
「…非常に特殊なウィルス」
 マサキはそれだけ言って一度言葉を切り、少し呼吸を整えると顔を上げた。
「南極で発見されたが、どうやら地球外由来のものである可能性が高いそうだ。ウィルスってのは本来単品では活動できなくて、他の生物の細胞に寄生するものではあるんだが、そいつはそこで殖えるだけでなく、積極的に宿主細胞のDNAを書き換えるという振舞が観察されてる。
 通常はそのことで細胞が機能不全に陥り、最終的には細胞死に至るわけだが…その書き換えは個体の生命維持を脅かすことのないよう、かなり巧妙らしい。テロメラーゼ活性が癌細胞なみにあるのに、その分裂・分化は正常な細胞と同等にコントロールされている。そりゃ今までにも、それに近い振舞をするウィルスがいなかったわけじゃないが、なにより特異なのは、それに感染させた実験動物の寿命が桁外れにのびるってことだ。
 あと、組織の傷害に対して修復能力が格段にあがる」
「寿命が延びる、ってことは、悪いことじゃないよね?」
 タカヒロが不思議そうに問う。
「基本的にはな。…だが、他に何が起こるかわからんのだ。極端な話、五十年以上生きてるネズミがいたとしたら、そりゃもうネズミとは言わんだろ。あと、手一本切り落としても三日後には再生してるとか。上手に使えば再生医療どころか、人類はメトセラの寿命を得るのかも知れんが、リスクもでかい。そりゃ、マウス一匹逃げたって地下施設ぐらいは灼き尽くそうって気になるだろうな。
 どうだトップ屋。納得はいったか?」
「…するしか、ないだろうな」
 最初から項垂れていた加持が、片手で顔の下半分を覆って更に俯く。
「…サキ、喩えがエグ過ぎ」
 カツミが吐きそうな顔で立ち上がる。口を濯ぎに行ったらしい。
「喩えってのは極端な方が分りやすいもんだ」
「…サキ、医療従事者の基準でモノ言わないでくださいって。子供達、退いてますよ」
 苦い表情でタカミがたしなめる。実際の処、退いているのは子供達だけではなかった。ミサトでさえ、微妙に蒼褪めている。
「…僕らは、それに感染しているのかも知れない、ってコトですか」
 無意識に喉を撫でながらタカミが問うた。
「現状で、可能性はゼロじゃない、としか言えない。現在のところ確定診断は出ていないそうだ。だが、ウィルスってのは強靱だからな。検体の採れない身体のどこかに潜伏してるっていう可能性が排除できない。しかし逆を言えば、仮に俺達がキャリアであったとして、それが他者に感染する危険はかなり低いともいえる。俺達に検診が課されなくなったのは、結局のところそういう事情もあったらしいな。その例外が…」
 その時、玄関の呼び鈴が鳴った。

***

 リツコは、レイと呼ばれる少女と…もうひとりを伴っていた。
「あら、帰るの?」
 入れ違いに辞去する二人を見て、リツコが言った。項垂れたままの加持と、こちらはすっかり元通りのミサトである。
「うん、私らはこれで失礼するわ。コイツも一応納得いったみたいだし、あとは、また余計なことに首突っ込んだりしないように、よーく灸を据えとかないと。
 じゃ、お騒がせしたわねー」
 気楽に手を振って行くのを少しだけ見送って、リツコは広い食堂兼居間を見た。
集まった面々で顔色が平静なのは高階マサキぐらいで、あとは程度の差こそあれ少し顔が蒼い。
「…この様子だと、一通り話し終わったようね」
 リツコに続いて花束と小さなバスケットを抱えた少女が入り、最後にもうひとりが入ってきた。
「まあ一応は。…そちらは…と、伊吹さん?」
 その人物が、ただ名前を憶えられていたことを驚いたにしては少々大袈裟なほど肩を震わせたのを見て、マサキは怪訝な顔をした。
「レイちゃんが、カヲルくんのお見舞いがしたいって。いいかしら?」
「構いませんよ。帰ってきたときの様子からすると、また寝てるかも知れませんが。いい加減、叩き起こしてもいい頃合いです。
 ミスズ、案内を頼めるか?」
「あ、うん」
 ミスズが立ち上がってレイを手招きする。
「どうぞ、こっちよ。荷物持とうか?」
 人慣れてないのがありありとわかる。ミスズの言葉に頷いてついて行くのに、花束もバスケットもしっかり握りしめ、本人もそのことに気づいていないらしい。
 ミスズもそれを察して、それ以上は言わずに前を歩き始めた。
 二人が出てしまうと、自然と皆の視線は予定外の客に集中する。それがわかるのか、彼女も立ち尽くしたまま身を縮めんばかりだ。
「…伊吹さん…だよな? 手術棟の?」
 マサキが記憶を手繰りながら確認する。手術棟の看護師の筈だ。去年だったか一昨年だったかの新人。
「あらご存知? 部署違うのに、意外とマメなのね」
 本当に意外そうなリツコの台詞に、マサキはやや機嫌を悪くしたように肘掛けに置いた手で頬杖を突く。
「意外って何ですか意外って。職場の中のことだし、俺だって一応…一寸可愛いが入ったよ、程度の噂には聞き耳立てますよ。…まあ、看護部って離職率高いし、話どころか顔も見ないうちに姿が消えちまうことも珍しくないですがね。ご存知でしょ?」
「ええ、それは知ってるけどね…マヤ、いい加減に何とか言ったら?」
 声を掛けられ、先刻の比でなく飛び上がるように驚いて肩を震わせる彼女は、もういつ泣き出してもおかしくない風情であった。
「…あ。サキが女の子泣かした」
 タカヒロが端的に言ってのけるから、サキが慌てる。
「こら待て、悪いのは俺かよ。俺が何をしたっていうんだ! 赤木さん、状況の説明はいただけるんですよね!?」
「勿論そのつもりなんだけれど…」
 リツコのほうも困惑気味なのは十分見て取れた。…まさか。
「…ごめんなさい。本当に…こんなことになるなんて、あの…ごめんなさい!」
 全く要領を得ないのだが、そろそろマサキにも薄々状況が見えてきた。
「まさかと思いますがね。昨日言ってた『心当たりがある』って…このの仕業ですか、昨日のは!?」
「どうやらそうらしいの」
 もはや、まともに喋ることも出来ずにしくしくと泣き始めてしまう。どうやら本人からきちんと説明させることは無理と踏んだリツコが、逡巡ののち口を開いた。
「この子は伊吹マヤ。うちの近所の子で…高校と大学の時に私が少し勉強をみてやったりしてたのよ。基本的には頭のいい子なんだけど、すこし思い込みが激しくてね。…その、何か誤解したようなの」
「…はい?」
 聞くだに莫迦莫迦しい事態を察して、マサキの表情が歪む。
「…検体を搬送したときに…聞いちゃって…検査室の人達が…病理の赤木医師せんせいには恋人がいるらしいって…歳下みたいだけど結構お似合いとかって…」
「おい、ちょっと待てっ!」
「私、先輩のことずっと見てたのに…そんなの嫌ぁ!」
「こら、待てというのに。その場合お前が謀殺するべき人間は他にいるぞ!」
「突っ込むのはそこですか、サキ!?」
「大体、俺は当年とって三十だぞ。何で歳下だ」
「…え、そうだったんですか。もう少し若いのかと。それに、先輩が検査室に顔出すときには必ず高階さんに声を掛けてるって…」
「貫禄なくて悪かったな。ついでに言えば赤木さんは病理検査室の俺からいえば直の上司だ。上司が部下に声かけるのが、それほど珍しいのか」
「…サキ。ひょっとして、警察呼ばなかったのは失策じゃないの?聞くだに莫迦莫迦しいくらいの誤爆殺人じゃない。…未遂だけど」
 リエが冷静に指摘する。
「こんなの完遂・・されてみろ、死んでも死にきれるか! …あの時点で、まだタカミをつけ回してる奴の正体が分らなかったから…。コトを公にしちしまうとまた面倒なことになりかねないと思ったんだ。幸か不幸か、処置にあたってくれたのが赤木さんだったから…内々で処理するってことも出来ちまったからな。
 あーあ、確かに失敗だったよ。でも今更、やっぱり熱中症じゃなく謀殺未遂でしたって言っても通らんだろ」
 額に手をやって天を仰ぐマサキを見遣って、証拠も残ってるし別に遅かないわよ、と言いかけたリエが口を噤む。確かにカヲルを巻き込みかけたのは許し難いが、一応事なきを得ている。積極的に告発するつもりはないのはサキの挙動を見ていれば見え透いていた。
「高階君がすぐに匂いに気づいたからよかったけど…そうでなければひどいことになってたわ。正直、今からでも通報するなら私は止めないわよ。…仕方ないわ、それだけのコトをしてしまったんですもの」
「せ、先輩…」
 リツコの冷徹な声にマヤが青褪める。
「一週間ぐらい前にOP室で麻酔剤のボトルを落っことしたってインシデントがあったが…その時にこぼれて破棄扱いになった薬液をシリンジか何かで取っといたんだな。それとも、わざとやったとか?そうだとしたら結構計画的か」
「ちっ…違います。あれは本当に事故で…処理の時に私も少し気分が悪くなっちゃったんです。だから…つい…ほんの嫌がらせのつもりで」
 おどおどと視線を彷徨わせるマヤの所作を見ていて、リエが指先で音高くテーブルを拍って唸る。
「…サキ、このお嬢さんいっぺんしばき倒してもいい?何か聞いてて無性に腹立つんだけど」
「気持ちは分かるがやめとけ。一応非を認めて来てるんだ。そ? ??にリエが本気でひっぱたいたら、今度こそ傷害事件だ。これ以上の面倒事は御免だぞ」
「失礼ねェ。その辺の加減が出来ないほど頭に血は昇ってないわよ。加持にだって怪我させてないでしょ。
 大体、聞いてりゃ何?あんた意中の先輩に男の影がちらつくたびにこんな人殺しかねない悪戯仕掛けてんの? そりゃ先輩も迷惑なこと」
 マヤがぎくりとするのが見て取れた。リエが渋い顔をする。
「…まさかと思うけど、初めてじゃないの?」
 これは、リツコに対する問いだった。
「…さっきミサトと出てった加持君。彼が前回の被害者ね。実を言うと、ミサトも一度。二人とも今回ほど実害の出る手段じゃなかったし、マヤのこと知ってるから笑って済ませちゃったのが…今となってはいけなかったのね。大分叱ったつもりではあったんだけど」
 そう言って、リツコが深く吐息した。
「それで、『心当たり』か」
 リエがすっと立ち上がる。最初から立ち尽くしたままのマヤの前へ立ち、頭の天辺てっぺんから爪先までジッと眺めてから、にこりと笑う。結構上背があり、モデル並のプロポーションで艶のいい黒髪を腰まで流した理知的な美貌が微笑えば、マヤの顔が俄に紅くなる。
「赤木さん?あなたの面倒見の良さには敬服するけど…これはよくないわよね?」
 そう言って、優しくマヤの手を取った次の瞬間。小柄な身体が宙を飛んだ。マヤの引き攣れたような短い悲鳴と一緒に、硬い床に叩きつけられる音。
「…あー、やっちゃった」
 タカヒロが気の毒そうに覗き込む。だが、それで終わっていなかった。仰向けにひっくり返ったマヤがようやく目を開けたとき、目の横5㎝に銀光が閃く。
「…っ!」
 気道が妙な音を立てた。もはや、目を閉じることも出来ないほど硬直したマヤの顔の横にナイフが突き立っている。
「…ねえ、伊吹…マヤさんだったかしら。…別にね、あんたがストーカーしようがミザリー級の異常行動に出ようが、私はこれっぽっちも関知しない。その挙句、いつか警察のお世話になるコトになったとしても…そりゃ自業自得ってもんよね?
 でも、私の身内に手を出したら…その時は、警察のお世話になっといた方が良かったって目に遭わせてあげる。
 言っとくけど、私の腕は長いわよ。日本中…いや、世界中逃げ回ったとしても、私の腕はあんたに届く。よく憶えておきなさい」
 炯々たる双眼は蒼味を帯び、血のような紅唇が吐く壮絶な呪詛にも似た言葉に、マヤは顔色がない。胸骨の上に擬された膝と、顔の横に突き立てられたナイフからは、それがドライアイスの塊であるかのような冷気が下ってくる。
「は、はい、はい、ごめんなさい」
 音階をはずした声でようやくそれだけ言ったマヤの胸から膝を退けて、リエはナイフを抜いた。
「…その言葉、忘れないようにね」
 猫科の大型肉食獣が獲物をいたぶるような微笑を浮かべて身を離す。マサキが苦い顔で、しかしソファの上から動かないままに言った。
「…お引き取り願えるか、伊吹さん。今更コトを公にするつもりはないが、すべてなかったことにするほど俺も人間が出来ちゃいない。今後の挙動には気をつけることだな。このとおり、うちの身内には結構気の短いのもいるから」
「だから、怪我させてないじゃない。失礼ね」
 リエが不満げにそう言ってシースナイフをベルト背部の鞘に戻す。マヤが慌てて起き上がり、『ごめんなさい』を数度繰り返しながら逃げ出すように退出するのを見送って、タカヒロが呟いた。
「凄いなー。まるで昔のドラマ観てるみたいだったぞ」
「タカヒロお前、どんなドラマ観てるんだ。…ま、それはいいとして…リエ、前にも言ったがいい加減シースナイフそんなものをベルトに仕込むのはやめろ。一歩間違えば異常者だぞ」
「あら、便利よ?手紙の開封とか、お菓子袋の口切ったりとか。別にこれで始終他人を脅してるわけじゃないわ。それに、さっきはあの程度やっとかないと後々不味いと思ったから、少々芝居がかったことまでやってあげたのよ。道化を買って出たんだから、感謝して欲しいくらいだわ」
「え、あれ芝居なの。リエ姉のことだからてっきり本気だと」
「まあ、芝居だったとしてもノリノリだったのは確かだよな。見たかあの膝。絶対、何か口答えしたら肋骨アバラの2~3本はへし折る気だったぞ」
 高校生ふたりがぼそぼそと話すのをよそに、リエがソファに戻って足を組む。
「本気にして貰わなきゃ困るわ。…サキはハナからあのストーカー嬢ちゃんを告発するつもりはなかったみたいだし、かといってこんなこと繰り返されたら世間様の迷惑よ。
 さてと、サキ? 彼女を不問に付す代わりに、赤木さんからどんな譲歩を引き出したのかしら。そろそろ話して貰ってもいいわよね」
 深い色をした両眼の炯々たる光はそのまま、笑みだけを消してマサキを射る。リエの言葉に、リツコを除くすべての者の視線がマサキに集中した。
 マサキが僅かに呼吸を整えてから口を開く。
「…Angel-02」
 タカミが一瞬、呼吸を停める。他の者も同様ではあった。Angel-02がロストナンバーであることは、今では皆が知っている。
「どこに居るのか。生きているのか。そして、何故隠されたのか。関係無いなら忘れようってのが俺の立ち位置スタンスだが、関係無いのかどうかわからなければ、忘れていいのかさえもわからない。喉に刺さった棘みたいなもんだった」
 そこで一度、マサキはリツコを見遣る。リツコはただ静かに目を伏せた。
「結論から言う。夏のコテージでカヲルが出会った娘…綾波レイ。彼女こそが、存在を隠されたAngel-02…あの事故の生存者最後のひとり。そして、あの研究所で研究されていた件のウィルスのキャリアだ。うちのカヲルと同様にな」

***

「とっとと寝てしまえ。何時だと思ってる。ここは病院だぞ」
 マサキの叱言も今夜何度目かは既に憶えない。
 ちゃんとベッドにいるんだからいいじゃないか。小学生じゃあるまいし、こんな時間で眠れるもんか。そんな自分でも小学生みたいだと思うような口答えに始まって、カヲルとしてはマサキを揶揄からかうのにもいい加減飽きてしまった。
 なにせ、そのマサキが消灯後の病室で身を起こしたまま、もう長いこと闇の中を凝視しているのだ。先程の…赤木医師せんせいとの話の所為以外に考えられない。
 カヲル自身は、意識低下レベルダウンを起こしたのは車の中で薬を嗅いでしまったあの時だけで、それもマサキに車から引きずり出された際にしっかり醒めてしまっている。格別に気分が悪いこともなかったから帰りたいと訴えたのだが、今夜一晩は様子見なきゃいけないから入院!とミサヲに怖い顔で叱られてしまった。
 午後いっぱい、そのミサヲが差し入れてくれたゲームと雑誌で暇を潰していたが、その間マサキの方はずっとイヤな汗を浮かべて身を横たえていた。時々起き上がっては水分を摂ってからふらっと出て行くのは、どうやら吐きに行っていたらしい。
 なんでわざわざ水飲んでから吐くの、と訊いたら、胃が空の状態で吐くと食道が荒れるからだ、と蒼い顔のままそれでもきちんと説明をしてから目を瞑る。
 ふーん、大変だね。そんな滅法他人事なコメントしかできなかったのは、相手がマサキだったからに他ならない。
 概して、マサキはカヲルに対して厳しい。必要もないのに学校に行かされているのはマサキが「コイツに必要なのは社会性だ」などと余計なことを言い出したからだし、学校行事を面倒臭がるカヲルに一々叱言を垂れるのもそうだ。
 尤も、ミサヲあたりにそう零すと、「言い方に問題はあるけど、本当に必要だから」と逆にたしなめられるのだが。
 カヲルとしても、それが最近少しずつ理解できるようになってはきた。学校という空間で、徐々に友人らしいものができはじめた所為でもある。
 夕方頃にはマサキも吐きに行くことはなくなったが、結局夕食も水分にしか手を着けなかった。しかし昼食抜きになった上、特に気分が悪いわけでもないカヲルは文句を言いながら結局全部食べた。退勤前にミサヲが様子を見に来て、必要なものがあるか問い、「大人しくしてるのよ」と言い置いて帰って行った。
 とりあえず、眠ったふりだけでもしておくか、とカヲルがゲームを閉じて布団を被ったとき、マサキが不意に訊いた。
「カヲル…お前、なりたいものってあるか」
 真意をはかりかねて、カヲルの返事は少し遅れる。
「まだ…よくわかんないや」
 中学校のカリキュラムとしての「職場体験」とやらに、然程の感慨を持っていたわけではない。病院を選んだのも、至極単純に選択肢がほかになかっただけ。どうせ行かなくてはならないなら、識った者のいるところを見てみようと思っただけだ。
 カヲルは、折角被った布団を押しのけて身を起こした。相変わらず座したまま闇の中を凝視するマサキを見る。
「…サキは、なんで今の仕事しようと思ったの」
 口を突いて出たのは、カヲル自身…思ってもみなかった問いだった。
「本当は、医者になりたかったかな。でも、ゼーレに原因を追及する意図を疑われてもつまらんし…まあ、自分に何が起こったのか、これから何が起こりうるのか…そんなことをきちんと理解しようとしたら、やっぱりこのあたりの仕事に落ち着いたというだけだ。…まあ概ね、間違っちゃいなかったと思うがね。
 両親がそのスジの人間だったってのもあるかな。父親は製薬会社のMR医薬情報担当者で、母親は看護師だった。よくある話さ。…ミサヲは母親そっくりだな。二人とも、あの事故で骨も残らなかったが」
「…サキが事故より前の話するの、初めて聞いた」
「そうだな、したことはないな」
「何もかもが消えて無くなったんだろう。哀しくなかったの」
「哀しくない訳はないが、泣いてる場合じゃなかったからな。あの時俺はもう、今のお前くらいの歳だったんだ。どうやら俺が一番歳嵩だったし、周囲の大人はみんな敵に見えてたし、どうやって身を守るかってそればっかり考えてた」
「それでかくもひねた大人が出来上がったわけだ」
「喧しい、ひねてんのは元からだ。それでも、今のお前ほど性格が複雑骨折してなかったぞ」
「何だよそれ…」
「先刻の赤木さんの話を聞いても、全く動じてない…もしくは理解らないフリをするあたりとか」
 赤木リツコが部屋を訪れたのは、ミサヲが帰った少し後のことだった。
 正直なところ、リツコとマサキの話は専門用語が多すぎてカヲルにさえやや難解だった。カヲルが修士課程を修了しているといっても、あくまでも方向性としてはタカミと同じで、生物学方面に関してそれほど詳しい訳ではない。
 しかしそれを差し引いても、知識欲は人一倍だから門前の小僧は習わぬ経も読んでしまう。
「訳わかんない話にどうやって動じろっていうのさ」
 漠とした不安を全く感じないと言えばそれは嘘になる。それがマサキに筒抜けているのも判っていた。
 だが、マサキにしては珍しく、くらますような笑みでそれを流してしまう。
「…ま、何があろうと、これから何が起ころうと、お前は決してひとりになることはない。今はそれだけ知っていればいいさ」
 今度こそ、何を言われたのか咄嗟にわからなくて…カヲルは思わずその紅瞳をみはった。だが、それまで闇を見ていたマサキが面白がるようにカヲルを見ているのに気づくと、ふと妙に腹が立った。
 布団を被り直すと、反対側を向いてしまう。
 だが、ややあって…胸の中で絡んだ糸が解けていく感覚に、眉間に入った力がすっと消えていくのがわかった。
「…知ってるよ、そんなこと」
 無愛想を装い切れなかったことが、カヲルにとっては少しだけ口惜しかった。

***

 蝉の声。開け放った窓から、木陰を渡った涼しい風が忍び入って頬を撫でていく。
 帰ってきてからすぐ、ベッドに倒れ込んだ処までは憶えている。
 うたた寝してしまったらしいと気づき、カヲルが倦怠感を振り払って目を開けたとき…目の前に、紅瞳があった。
「…夢、かな?」
 そう言いながら、カヲルの口許が綻ぶ。目の前で紅瞳の少女が、柔らかく微笑み返した。
「夢、じゃないよ?」
 ベッドの傍の椅子に腰掛けた少女の膝の上には、花束とバスケット。
「…えっと、お見舞い。入院したって聞いたから。赤木先生にお願いして、連れてきて貰ったの。でも、もう退院できたのね」
「ありがとう!」
 思ったままを口にして、思ったままを行動にあらわした。カヲルは跳ねるようにして起き上がると、小さな肩を抱きしめる。丁寧に包まれた花束を潰さないように、まだ持っていてくれたバスケットが滑り落ちないようにそっと支えて。
「…また、逢えたね? 約束もしないで…」
「うん、嬉しい」
 少女が少しだけ吃驚したあと、白皙の頬を桜色にして頷く。カヲルは少女の膝の上の花束とバスケットをするりとサイドテーブルに移動させて、少女を抱き寄せた。
 頬をよせて、互いの鼓動を聞く。この深い安寧。
 生まれてからこれまで、それほどに不遇だったとは思わない。出生の事情からして決して平穏とは言い難かったかも知れないが、口喧しかったりお節介だったり、身内に等しい存在はすぐ近くにあったし、物的に不自由を感じることもなかった。
 ただ、言うことを聞いてくれない身体が腹立たしかったのと…何故自分だけがこうなのだろうという漠とした不安。学校という空間にふれるようになってからも、後者が消えることはなかった。
 自分は、みんなとは違う。
 だから、手を伸ばすのは怖かった。触れたらそこに在るのは、隔てる硝子のような感触。だから、そつなく会話することにはすぐ慣れたが、他者に触れることも、触れられることも怖かった。
 それなのに。
 あの海辺で、レイと逢ってから。言葉にならない何かが変わった。それは最初、おそろしくさえあって…その正体が判らなかった。だが、気づいたのだ。その恐怖は、生まれて初めての…嫌われることへの恐怖だったのだと。
 生まれて初めて、誰かの傍にいたいと思った。
 嫌われることが怖いと思った。
 でもそれは巧く言葉に出来なくて。ただ、抱きしめた。
「どうしていままで、離れていられたんだろう…」
 今はもう、何も怖くない。

***

「…カヲルは?」
 マサキがミスズにそう訊ねると、ミスズは笑って肩を竦めた。
「お姫様の来訪も知らずに寝てたけど、彼女、起きるまで待つって。さっき様子見に行ったら、起きてたわよ。でも、馬に蹴られんの嫌だからそーっと退散してきちゃった。…呼ぼうか?」
「そうだな。そうしてくれ。…赤木さん、嬢ちゃんはカヲルに送らせるから、先に車の方へ戻ってて貰えるか。タカミ、送って行け」
「…あ、はい」
 送りが要るような距離ではないが、敢えてマサキがそう言った意味を汲んで、タカミが立ち上がる。
「そう、ありがとう」
 二人が出て、ミスズがカヲルを呼びに行ってしまうと、沈黙を守っていたリエが小さく吐息した。その口許には、少し意地の悪い笑みがある。
「赤木ナオコ博士の一人娘、赤木リツコ女史か。その筋ではある程度有名人だし、写真は見たことあるけど……現物は初めて見たわ。絵に描いたような氷の美女クールビューティだけど、あーいうひとって概して情が深くてこわいのよねー…まあ、タカミじゃ間違いなく敷かれるわ」
「リエ、あのな…」
 マサキが頭痛を堪えるように額を押さえる。リエの舌鋒に遠慮の二文字はない。
「えー?別に悪いコトじゃ無いと思うわよ。それでタカミが落ち着くんなら八方丸く収まるじゃない。身持ちが悪いとは思わないけど、ちょっとふわふわして危なっかしいとこあるしねぇ」
 僅かに蒼味を帯びる双眼を煌めかせ、紅唇の端をつり上げる。
「…何か言いたいことがあるみたいだな」
「いーえ、何も?」
 多分に含みのある微笑は、ドアの音に逸れた。
「…あの、えっと、お邪魔、しました」
 カヲルに連れられた少女レイがぺこりと一礼する。顔をあげてから、一同の視線が自分に集中しているのに気づいて俄に全身を緊張させた。
「やーん、可愛いっ!また遊びにいらっしゃいね、お菓子作って待ってるから!」
 ミスズが抱き付いて銀色の頭をくしゃくしゃと撫でる。レイは一瞬肝を潰したように両眼をしばたたかせていたが、ゆっくりと微笑った。
「9月から学校だそうだね。…そこにいるカヲルが一緒の学校になるから、何なりと相談するといい。…まあ、似非優等生で適応障害気味の人誑しだからアテになるかどうかは微妙だがな。その場合、OBならそこらにぞろぞろいるから」
「何、その屈折しまくった枕詞!」
 面目を潰されたカヲルが噛みつきそうな顔で唸る。マサキはそれをさらりと黙殺して言葉を続けた。
「ここのことも、自分の家だと思っていつでも遊びにおいで」
「…はい。ありがとうございます」
「うちって時々予告なしにゴハンたかりに来る奴とかいるから、夕飯時に来ても全然問題無いからね!」
「部屋余ってるし、お泊まりもだいじょーぶよっ!」
 左右から矢継ぎ早に言われて戸惑っているのではないかと案じたカヲルがレイの顔を覗き込むと、そこにあったのは玉簾ゼフィランサスが咲くような、可憐な微笑であった。
「…カヲル、おうちって、いいね」

***

「どうして、返信メールくれなかったの?」
 駐車場までのそう遠くもない道程。すこし悪戯っぽい笑みで問われ、タカミは心底返答に窮した。
「…済みません、実はまだ、開けてないんです。…怖くて」
 だから、本当にそのままを答えた。リツコが苦笑に近いものを閃かせる。
「…ひょっとして、これ?」
 すい、とタカミの眼前にかるく握ったままの手を差し出す。その中からしゃらりと姿を現したのは、シルバーのチェーンブレスレット。
 思わず、呼吸を詰める。
「高階君に預けるつもりでいたんだけど…あの一件でしょ。直に訊いてくれって言われて、返されちゃったの」
 緩慢な動作で、タカミはそのチェーンブレスレットを受け取った。半年程前だ。一緒に街を歩いていて、シルバーアクセサリのショーウィンドウでふと目に止まった。彼女はやはり猫模様の髪留めバレッタに見入っていたから、その間の些細な買い物。
「…何処で、これを?」
「コテージの裏庭…と言いたい処だけど、ぎりぎりで敷地外。直しておいたけど、拾ったときには留め具が飛んでたわ。枝か何かで引っ掛けたんでしょう。
 …やっぱり、来てたのね」
 咄嗟に、是とも非とも言いかねて、口ごもる。
「何を、見たの? …何を見たと思ったの?」
 それは決して詰問口調というわけではなく、どこか面白がるような響きさえ含んでいた。
「…あなたが、あの時間にコテージから出てきて…レイちゃんを捜してる姿を」
 ようやくのことで、それだけを口にする。
「あそこが企業の持ち物じゃなく…碇家の所有だったから?」
「…っ!」
「私と、碇CEOの間に、個人的な繋がりがあると思った?」
 リツコはそう畳みかけてタカミの表情をたっぷり数秒愉しんでから、破顔した。
「…それは、妬いてくれたと思っていいのかしら?」
 こらえきれないというように、笑い出す。タカミにしても、こんな風に笑う彼女を今まで見たことが無かったから…思わず立ち尽くした。
 車のドアに身を凭せかけて、ようやく笑いを収めた彼女が、タカミをまっすぐに見て口を開いた。
「…全くないと言えば嘘をつくことになるわね。私の母さんは、碇CEOの情人だったもの」
「…赤木ナオコ博士…が?」
「同じ事故で伴侶を喪った者同士で…よくある話といえばよくある話なのかしらね。母さんは父さんを亡くして、碇CEOは結婚の約束をしてた綾波ユイ博士を喪うことになった。
 Angel-01、研究員セラフィン・渚・ローレンツが受傷後カヲルくんを出産するまで辛うじて生存できたのとは違って、綾波博士は発見時既に心肺停止状態だった。辛うじて胎児は生存が確認出来たから、早すぎたけど他に方法がなくて…緊急に切開した。…そうして生まれたのがAngel-02、綾波レイだって処までがさっきの話ね」
「セラフィン・渚・ローレンツ・・・・・
 初めてそのフルネームを聞いて、タカミの中で何かが繋がる。
「そう…この春に急逝したキール・ローレンツ…ドイツ本社CEOの孫娘。だから、カヲルくんは曾孫にあたるわ」
「…あの子は、知りませんよね…?」
「報せるべきかどうかで大もめにもめたらしい…けど、結局伏せられたままなの。ローレンツCEO自身は、彼を手元に引き取りたい意向があったようだけど…事故の関係者の手前、それがずっとできなかった。…その代わりに、『CODE:Angel』の生活支援にはゼーレの予算として組まれた補償費に加えて、CEOの個人資産からかなりの繰り入れがあったと聞くわ。キール・ロ―レンツ個人の、被災者への寄付というかたちでね」
「僕達は、その余慶をこうむっていたというわけですか」
 吐息混じりの台詞には、幽かな落胆が混ざっている。
 それは、あの日からずっと燻ってきた…ナギサが義母で、カヲルが異母弟ではなかったかという疑問に、一つの決着がもたらされたからだった。
 やはり、あの時に二人とも…。
「…そういう言い方もできるわね。でも、ことあなたに関しては…全く無関係でもないのよ。やっぱり、そこまでは知らなかったのね」
「どういうことです…?」
「『CODE:Angel』に完全な身元不明者はいないわ。…あの事故で亡くなってるあなたのお父さんは、母方の姓を名乗ってはいたけど…セラフィン・ローレンツの実父よ」
「…は?父親?」
「憶えていないの?…っていうか、憶えていなくても鏡見れば自分がまるきりの日本人じゃないことくらい判ってたでしょ?」
「えーと、それは一応」
 無意識に、片眼に手を遣る。しかし実直に、薄情な話ではあるがいままで父親のことなどほとんど考えたことがなかった。事故以前の記憶がかなり曖昧な所為もあるが、もともと「忙しくてほとんど家に居ない」という心象イメージしか残っていなかったのだ。
「だから、あなたもまちがいなくキール・ローレンツの孫で、カヲルくんからすると叔父にあたるの…大丈夫?」
 そうリツコが問うたのは、タカミが僅かにふらついてすぐ傍に植えられた公孫樹いちょうに寄りかかってしまったからだった。
「…えーと…一寸、いろいろ急にありすぎて…ちょっと眩暈?」
 嘘ではない。自分が立っている場所が俄に崩れ落ちるかのような不安定感が、何か縋る物を必要としていた。
「…ローレンツCEOがどんな覚悟で沈黙を守ったかなんて…私にはわからないわ…でも、少なくとも碇CEOよりも余程自制が効いていたのは確かよね。…碇CEOは全くなりふり構わずに…Angel-02、つまりレイちゃんを隠匿した。…私と母は、ずっとその片棒を担いでいたというわけ。…この春、ローレンツCEOが亡くなってゼーレの体制にガタがきて…連鎖的に碇CEOも足下が揺らいだから、隠しきれなくなったのよ」
「…じゃ、あなたがあのコテージにいたのは…」
「レイちゃんが外で暮らせるようになったのは割と最近なの。それまでずっと無菌室でね。…ほとんど私が世話をしてた。超未熟児で何度も危ない時はあったけど、現在ようやく身体的フィジカルには通常の生活が出来るレベルにはなったわ…でも」
 リツコはそこで一旦言葉を切り、少し俯いた。
「ハリィ=ハーロウの接触実験…あなたなら知ってるわよね」
「一応、概要あらましくらいは」
「レイちゃんがあんなふうになったのは、間違いなく環境の所為…。私達は、長いこと防護服越しにしかあの子を抱いてやることは許されなかった。あの子は、本当に必要なときに温かみのある? ??触というものをまったく与えられなかったのよ。だから、無菌室を出られてからも普通の環境に馴染ませることが出来なくて…あの別荘で生活させてたの。でも、それじゃなにも変わらないのよね。
 碇CEOがしたことは、全くの自己満足…あの子に何一つ与えなかった。
 せめて、カヲルくんのように…保育器を出られた段階であなたたちと一緒に生活することが出来ていれば…あそこまでひどくはならなかったでしょう」
「…じゃ、やっぱり…あの家に、乳飲み子もいれば学齢期前の子供も居たあの家にベビーシッターのひとりも派遣されてこなかったのは…」
「あなたがたも、緩くはあるけど隔離されていたから。
 先刻も言ったけれど、「CODE:Angel」に身元不明者はいない。…なのに、市外の係累に引き取られた子供が一人もいなかったのは…そういうことなの。弔慰金という名の口止め料で引き取りを諦めさせていた」
 全てを吐き出した、といった態のリツコが、深く息を吐いた。だが、ふと顔を上げてタカミの浮かべている穏やかな笑みに怪訝な顔をする。
「…怒らないの? 酷い話よ。生育環境そのものが、既に実験に等しいわ。…私は子供で、何も出来なくて…!私に出来たのは、そこに留まり続けるだけで…」
 そう言いながら、珍しいことには彼女自身が憤りを押さえかねている。
「…それでもあなたは、そこにいてくれたのでしょ?レイちゃんの傍に居てくれた。碇CEOが何を考えてたかなんて、僕にはあまり関係無いけど…少なくともあなたは、レイちゃんのためにそこに居てくれた。
 …怒るほどの材料が、もう僕にはないんです」
 タカミが公孫樹の幹に背を預けたまま、自身の肩を抱いていた手をゆっくりと下ろす。
「僕には、皆がいた。…なにも、不足はなかったんです。それに気づくまでに、随分な時間がかかってしまったし…いろいろ迷惑もかけてしまったけれど」
 タカミは微笑った。すこし、俯き加減ではあったが。
「たぶん、今からだって遅くない。あの子にはカヲルくんだっている。そして僕らも。…きっとあの子レイちゃんも、もっと笑えるようになりますよ」
「…その『僕ら』の中に、私は入っているのかしら?」
 思わぬ一言に、タカミが顔を上げる。
「…どうなの?」
 タカミの当惑を面白がるような、試すような…。僅かな笑みさえ含んだ言葉。タカミは背を凭せかけていた公孫樹から身を離して…一歩前へ出た。
「もしそうなら…僕は嬉しいけれど」
「では、契約成立ね。…サイン、貰っていい?」
 答えは諾しか有り得なかったが、それを口にするほどのいとまはなかった。リツコの腕がするりとタカミの項に回って、引き寄せたからだ。
 唇が触れている数秒。まっすぐに立っている自信がなくて…タカミは思わず彼女が背にしている車のルーフに手をついた。

TO BE CONTINUED


Akino-ya Banka’s Room
Evangelion SS 「Angel’s Summer」


「夏服 最後の日 」reboot に関するAPOLOGY…..


どうしましょう

 すっかり話のモードが切り替わってる気がします。天井裏なのに、こーんなマジモード全開の話でいいんかしらん。おまけに今回、濡れ場がないぞ濡れ場が!これはいかん!めっちゃ不本意だ!裏の面目が立たん! …などとブチ切れなコメントをしてると、ほんとうに家主やなぎ抹殺されそうなのでこのくらいにしておきます。
 でもいーんです。念願のリツコさんとタカミ君のkiss sceneが書けたことですし。ふっふふふ、家主に先んじたぞ。…しかしタカミ君…リツコさんが相手でも受けるか。もはや処置ないですね。結構無理矢理なカンジで契約取られてしまいました。契約って何の契約?なんて聞くだけ野暮ですやね。ある意味年少組より痒い話になってしまった感があります。頼むからタカミ君、kissくらいで目ぇ回してる場合じゃないってば。や、初めてだから無理ないっちゃないんだけど。
(あくまでもリツコさんとは、ね)

 年少組ことレイちゃんとカヲルくんは…はい、全くトーン変わらず。砂糖菓子のシロップ漬けチョコレートトッピング(爆)な世界。本当に、書いてて愉しいけど全くStoryにならない取り合わせですね。柳はよくあれで8本も書いたもんです。

 それにしても。この話、リツコさん以外のリリンはろくな役振られてませんね。加持さん、マヤちゃん、ごめんなさい。ろくでなし亭主に手を焼いてるミサトさん、がんばってください。

 それでは皆様、次回まで万夏が正気でいたら・・・・・いや、何も申しますまい・・・・・・(^^;

2017.7.29

暁乃家万夏 拝