ルアセック ー影ー
サーティスが歯を食いしばるようにして立ち尽くしてしまう。
「そんな…つもりは…」
ルアセックはおそろしく強情なくせにひどくあやうい背中にゆっくりと歩み寄った。
そっと腕を回し、自身の胸に爪を立てているサーティスの震える指先を捉えてやんわりと離させた。肩越しの口づけには素直に応えてくれたから、そのまま引き寄せて身体を密着させる。すると、小さく吐息して身を凭せかけ、先程胸に血が滲むほどに爪を立てていた指先を緩々と伸べてルアセックの髪に触れてきた。
自分の腕の中の相手が誰を見ているかくらい、判る。
その言葉の意味を、サーティスはまだすべて諒解した訳ではないのだろう。あくまでも、セレスという娘を初めての相手に重ねていると…そう指摘されたと思っているに違いない。
ここで畳み掛けてしまうことが、良いのか悪いのか…。
それでも、この銀の髪を弄ぶときの…とろりと潤んだ若草色が、妙に素直に身体を預けてくる姿態が、何か微妙に口惜しくて、ルアセックは髪に触れるサーティスの指先を捉えて思わず口にしてしまった。
「…誰だ、などと…俺は訊かんよ。今、お前を抱いているのは俺だからな」
その途端、残酷なほど正直に腕の中の身体がビクリと跳ね…サーティスがその指先に絡めていた髪が滑り落ちた。
「ルーセ…!」
身を捩り、遁れようとするサーティスの動きを…より強く抱くことで抑え込む。
「違…っ…ライエンとは、こんなっ…!」
少し上擦った声。初めてその名をはっきりと聞いてしまったことで、火が点いた。
嗚呼、言わずもがな。そう思ったところで、もう遅い。ルアセックは抱きとめる腕の力を強くして、片手を下へ滑らせる。
「こんなことは、してない…と?」
まだ少し湿った布の上から下肢の間に触れ、ルアセックはそう囁きながら耳朶を甘く噛んだ。掠れた声がサーティスの喉奥から漏れ、立っていることが辛くなってしまったのか…縋るものを求めてその腕が泳ぐ。
「縋るなら俺に縋れというのに」
「無茶…言うな…こんな…格好でっ…」
「…尤もなことだ」
苦笑に唇を歪めて、ルアセックは、抱いた腕を緩めることなく背後の列柱に自身の背を預けた。ただでさえ膝が震えて立っていることが難しくなっていたところへ均衡を崩され、サーティスの身体は他愛なくルアセックの腕の中へ落ちる。それを一度大切に抱き締めてから、ルアセックはするりと身体の位置を入れ替えた。
サーティスの背を柱に縋らせ、その脚の間に自身の膝を割り込ませる。そうしておいて再び丁寧に…深く口づけた。下肢の間を撫で上げ、唇を喉から胸もとへ滑らせる。
多分、本当なのだろう。「ライエンとは、こんなことはしていない」。
…だが、サーティスの方は心の何処かで望んでいたのではないか。あの日の神殿でも、祝儀の夜も、この髪の向こうにその男を見たのではないか。そんな、下種の勘繰りと謗られても文句の言いようがない想念に囚われて、ルアセックは喘鳴に肩を揺らすサーティスをその指先で更に追い上げた。
その呪縛が砕け散るまで、此処で抱き潰そうか。そんな仄暗い衝動を、サーティスの…苦鳴と紙一重の苦しげな息遣いが煽り立てる。
踏みとどまれなかった。
どんなに強く抱いても、此処に留められないことが…何故か判ってしまったから。
サーティスはおそらく…ルアセックには想像もつかないものを背負ってしまったのだ。颯竜公としての矜持だけではないだろう。羽根を折られた鳥を、風の竜として回生させた何かが…いずれまたサーティスを漂泊へと駆り立てる。
多分、ライエンとやらのことも、あの近侍衛士の影も、もはやこの竜を地上に繋いでなどいないのだ。遠い昔、それは確かにかつて心の在処であったにしても。
傷つけば、地上へ降りてくることもあるのだろう。…だから今は、容易くこの腕の中におさめられる。だが、決して此処に留まることはない。傷が癒えたら、また飛び立ってしまう。
それを惜しみ、何とかして留め置きたいと思う一方で、羽根を毟って鳥籠に囲うがごとき愚を犯したくない。…迷いながら、それでも今はこの腕に抱いている。
今、抱いているのは俺だからな。
そう刻むように、再び痕をつける。
最初は頑なに柱の石組に爪を立てていた指先が、終にはルアセックの背に回された。
耳許で、ルアセックはそれこそ息切れる寸前のような…ひどく細い声が、自分を呼ぶのを聴いた。