宴
使用人達にとっての姿なき客人は、先刻テラスからルアセックの手引きで部屋に入ったあと…暫く物もいわずに酒杯を傾け続けていた。ルアセックはそれをさも面白げに…悪戯っぽい笑みを浮かべて卓に軽く肘杖をついたまま眺めている。
「…知ってたな?」
憮然そのものの表情で高坏を音高く卓へ置き、客人…サーティスは、たまりかねたように口を開いた。
「何が」
完爾として、ルアセック。
「場所だよ。マキが神殿に泊まり込むって言い出すこと…織り込み済みで此処を準備したな?」
「神殿のほうが良かったか? 奥の院なら静かだ」
「神域を何だと思ってるんだ、お前」
「俺としては、邪魔が入らなければどこだっていいんだが?」
サーティスはあっさりと反論を諦めた。経緯はともかく…諾と言ったのは、他ならぬサーティス自身だ。
謀られた。そんな気がする。やはりこいつは銀狐だ。
サーティスが思い切るように立ちあがる。精緻な文様の施された硝子の杯をもう一度酒で満たすと、それを持ったまま隣室へ続く帷帳を開けた。
隣室は、閨である。枕頭に細い灯がひとつだけ。ぼんやりとした灯ではあるが、牀の位置ぐらいは十分に判別がつく。かつては王の訪いを受ける寵姫たちの褥であっただけのことはあり、牀は贅沢な広さを有していた。
その牀に腰掛け、吐息する。サーティスは自分で、襟元を緩めた。
ささやかな酒宴のあとの灯火を手ずから消して回ったあと、ルアセックが帷帳をあげてゆっくりと入ってきた。優美な微笑を浮かべながら歩み寄り、簪を抜いて卓の上に置く。
「…大陸の隅々、海の涯まで捜しても、これほど贅沢な祝儀はなかろうなぁ。シードル卿が置いていった金子など比べるべくもない」
そのまま卓に手をついて、サーティスの顔を覗き込む。結い上げていた銀糸の髪がはらりと肩を滑った。
サーティスの顎を捉え、軽く仰向かせる。答えを俟つことなく、銀色の雨のような髪を揺らして顔を近づけた。底の見えない、深い緑瞳。サーティスは表情を抑え込んだ双眸を閉じて、口づけに応えた。
「歴とした妻子がある癖に…何を考えているんだ」
応えた後で、ゆっくりと息を吸い、毒づく。
結構な量の酒精が入っている筈だが、その若草色の眸に酔いはない。あるのはただ、冷め切った自嘲。あるいは自虐。
「何とでも」
そう言って、穏やかに微笑む。もう一度唇を重ね、今度はさらに深く舌を絡める。
顎にかけた指を襟許へ滑らせ、先刻サーティスが緩めた襟をさらに押し広げる。そこから微かに指先で首筋を撫で、またひとつ、釦を緩める。夜の冷気が、サーティスの首筋を撫でた。
ルアセックが唇を離し…緩められた襟許へ移す。唇が、舌先が、首筋をいくらも滑らないうちにサーティスの唇から吐息が漏れた。先刻のような嘆息とは明らかに違って、甘やかなものを含んでいる。投げ出されたままの指先が、微かに震えた。
ルアセックがかすかに笑う。
「西方で随分遊んできた割には…」
「うるさい、黙れ…」
その笑いが漏らす息に首筋を擽られ、サーティスが微かに呼吸を詰めた。睫が震える。
言葉は中断される。しかしそれはサーティスの言葉を容れたというより舌先で鎖骨の線をなぞるためであった。
他愛なく、サーティスが甘い声を上げて喉を反らす。その瞬間を見透かしたように、ルアセックの手がサーティスの肩から上衣を滑り落とした。
「…寒いか?」
それは問いかけというより、通告だった。
褥の上に覆うもののなくなった上体を横たえられても、サーティスに寒さなど感じる間はなかった。ルアセックが滑らかな夜着のまま身体を重ねてきたからだ。ルアセックの動きに追随する柔らかな布がさらりと肌を擦る感触と、首筋から胸元へ滑る舌先の動き。一方では衣服越しに下肢を撫で上げられて、終には詰めた呼吸が甘い声に化けた。
サーティスが喉だけでなく、身体全体を撓らせた一瞬も、ルアセックの手は止まらなかった。下肢を覆う衣服を緩め、隙間から潜り込む。鋭敏な部分に触れる。刺激され、サーティスは思わず藻掻いた。朱を刷いた顔を背けたが、不機嫌な無表情を装う横顔は既に凄絶なほどの艶をはらんでいる。
「…何を今更」
ルアセックの穏やかそのものの笑みに、酷薄な何かが混じった。
一度身体を離す。脱がせた衣服を牀から滑り落とし、代わりに覆うもののなくなった下肢を抱え上げて牀へ伸べさせると、絹糸を銀で染められるならこうもあろうかというルアセックの髪が腰にまつわる。次の動きを察したサーティスがわずかに身を捩った。
だが、いきなり咥えたりはしない。下肢の内側をそっとなぞり上げ、寸前で止める。左右を、何度も。そしてゆっくりと昂ぶらせていく。
サーティスの呼吸が追い詰められ、切れ切れに掠れた声が漏れる。
昂ぶりを弄ぶと、すぐにぬるりとしたものがルアセックの指を濡らした。
ルアセックが身体を起こしてその指先をすりあわせ、喉奥で小さく笑った。
「ファルーカ渡りの香油も敵わぬが…これだけというわけにはいくまいなぁ」
顔を背けたまま息を弾ませ、下肢を震わせているサーティスの姿態を賞玩するように眺め遣り、ルアセックが牀の傍に設えられた棚から見事な銀彩を施した硝子の香油瓶を取る。濡れた手にその中身を垂らすと、華やかな香りが散った。
「…ルーセ…?…あ…っ…」
どうしようもないほどに昂ぶらされたまま、それでも達し損ねていたサーティスは、滑りの良くなった指先で不意に深い部分に触れられて一気に身体を硬くした。
「そう硬くなるな。経験がない、とは言わんだろう?」
笑いを含んだ問いに、サーティスは答え損ねた。香油で潤った部分への侵入に背を撓らせ、金褐色の髪を振り立てて喘ぐ。縋るものとてない指先が、空しく敷布を手繰った。
塗り広げられた香油の艶めかしい芳香。
「レアン…」
愛しげに、名を呼ぶ。褥に爪を立てているサーティスの指先をそっと解き、口づけた。
「縋るなら俺に縋ればいいものを。…こんなときまで強情なことだ」
そう言って捉えた手を自身の身体へ導き、触れさせる。
「辛いなら素直に声を上げて縋ればいい。何、誰にも聞こえはせぬ。…とは言っても、まだ無理…か。…まあ…そこがいいんだが」
さも面白げに低く笑って、ルアセックが潤った部分への侵入を再開する。
サーティスの唇から漏れるのは、相変わらずせり上がってくる何かを抑え込もうとする苦鳴にも似た呻き。だが、ルアセックに導かれた腕はそのままルアセックの背に滑る。わずかにサーティスの腰が浮いて、迎え入れるような姿勢になったのは、故意か。無意識か。
どちらにしてもそれを指摘すれば、また身体を硬くさせるだろう。それも愉しそうではあるが、あまり焦らしても機嫌を損ねそうだ。
ルアセックは強請るようなその動きに…丁寧に応えた。香油で滑りの良くなった部分の、さらに奥へ。
掠れた声が上がり、サーティスが身を震わせる。先程ルアセックが導いた手だけでなく、いつの間にか両腕が背に回っていた。
素直でよろしい。そんなことを口に出したりせず、ただその首筋から耳朶へ唇を滑らせ、耳孔に舌を差し入れる。
ルアセックの背に両腕を回したサーティスの動きが、ただ受け容れるだけではなく快楽を追うものに変わりつつあるのに気付いていたから…ルアセックはせつなさが混ざり始めた声を聴きながら、侵入させた指先で慇懃なほど慎重に追い上げる。
探り当てた。
その瞬間、サーティスが背が浮くほどに全身を撓らせ、ルアセックの背に回した腕に力がこもった。反り返った喉から紛うことなき嬌声が迸り…ややあってゆっくりと沈み込むように弛緩する。
構わずルアセックが指先を進めた。
「…っ…あ、待…まだ、動くな…っ…」
達したばかりだというのにすぐに深い部分を擦られる刺激に耐えかねて、震える腕でルアセックを押しやろうとする。
ルアセックが細く笑んで指先を退いた。
「…あの時は、ここで泣かれたから諦めたんだがな」
「何の…話…」
荒れる呼吸を宥めながらサーティスが問う。そのおそろしく扇情的な姿態。しかし思いも寄らない言葉にルアセックは身体を起こして訊き返した。
「まさかと思うが憶えてない…のか?」
緩々と顎の線から喉を撫でられながら、サーティスがわずかなりともこの横着な従兄を驚かすことが出来たことに愉悦を覚えたかのように嗤う。
「知るものか…」
「…なんとつれない」
ルアセックは大袈裟に嘆息してみせた。そして、改めて覆い被さるようにして両手をつく。
ルアセック自身ははまだ上衣すらとっていない。白絹の柔らかな夜着の袖と銀糸の髪に鋭敏になった膚を撫でられ、サーティスがかすかに息を詰めたのを看て取ると、稚気さえ漂わせて微かに笑んだ。
「本当に憶えていなかったとはな。まあ、無理もないか。確かに…あんな時期にちょっかい出した俺も俺なんだが」
香油を垂らした指先で、ルアセックがサーティスの首筋から肩先をなぞる。既に瘢痕と化してはいるが、滑らかな膚にはひどく不釣り合いな…荒々しい傷がそこにあった。