暦の上では春と言いながら、まだまだ寒い日が続く。年度末が近づき、学内では送別を謳い文句にしたコンパの話があちこちで聞かれる季節になった。
その日。
人数が足りないから、と無理矢理引っ張られたカヲルが参加した合コンに、やはり引っ張られ座らされている態の女の子がいた。
青銀の髪。俯き加減だからはっきりわからなかったが、その眸は赤みを強く帯びていたように見えた。
あまり話すことが好きではないのか、声はかけられているようだが会話が持続しないらしく…いつの間にか相手がいなくなる。それかといって料理に手を付けるでもなく、ひどく所在なげに見えたのを憶えている。
カヲルを引っ張った張本人であるシンジも、そのことに関しては紛うことなき同類項であった。カヲルと同じでそもそも合コンなどという疲れるモノに興味を持つような質でもなかったが、その日はサークル仲間からカヲルを連れてくるよう半ば脅迫されていたのでこれも仕方なく参加していたのである。そうは言っても、苦手を承知でカヲルを会場へ連れ出したことは気にしているらしく、抜け出すタイミングを必死にはかっているようであった。
その所為か、カヲルがその女の子のことをシンジに問うたとき、シンジはひどく驚いたふうにカヲルを見た。
「…興味あるの?」
「いや、そんなんじゃないけど…」
「そう…じゃ、後で話すよ。とりあえず、そろそろ退散しよう?」
いい加減、人混みに辟易していたカヲルが、それに異を唱える訳はなかった。
帰り際だったろうか。一度だけ、目が合った。言葉を交わせる距離でもなく、少女はすぐに眼を伏せてしまったから…それ以上どうなりようもなかった。
そう…ただ、少し気になっただけ…。
***
首尾良く会場を抜け出し、アパートに帰り着いた二人は、とりあえず酔い覚ましの水を求めてキッチンへ入った。
「今日はホントにごめんね。断り切れなくてさ。でも、来てくれて助かったよ」
冷蔵庫のミネラルウォーターを一本あけ、半分をグラスに注いでカヲルに渡しながらシンジがそう言った。
「シンジ君こそ、ああいう場所は苦手なんだろう?…よく頑張ったさ」
立ったまま受け取ったグラスを一気に乾して、カヲルが微笑う。
「うん、まあ…どうしてわざわざあんなに騒がなきゃならないのかなって…。まあ、流石に少しは慣れたけど…」
シンジは苦笑し、シンクに凭れてボトルの残りを直接飲んだ。
「シンジ君、お風呂先にどうぞ。僕は少し、量が過ぎたみたいだから…もう一本水を貰うよ」
「ああ、あっちからもこっちからも勧められてたもんね。カヲル君ったら人が好いから断らないし。…見ててヒヤヒヤしたよ」
「大丈夫、あのくらいで潰れたりしないから。お酒は嫌いじゃないんだ。僕もああいうところが苦手なだけでね」
カヲルは笑って冷蔵庫に歩み寄り、冷えた水をもう一本取り出した。半分を先刻のグラスへ注ぎ、これもほぼ一息で飲んで一度テーブルに置く。
「…シンジ君?」
飲み干したペットボトルをシンクに置いたシンジが、不意に距離を詰めていたことに気づいて…カヲルが少しだけ身体を硬くした。
…捉まる。
項に回された手が、逃げを打つことを許してくれない。だが、そうでなくても逃げることなど思いも寄らぬ。捉まるしかない。
唇が重なる。舌先に歯列をこじ開けるように侵入され、テーブルの上に置いていたカヲルの手がびくりと震えてグラスを揺らした。
カヲルはグラスをとどめようとしたが、シンジはカヲルがそちらに気を遣ることを許さなかった。グラスが倒れてわずかに残った水が細い河を成し、テーブルの端から滴り落ちても、カヲルにグラスに触れることさえ許さないというように片手でカヲルの手を押さえつけたまま…角度を変えてより深く舌を差し入れてくる。
カヲルが息苦しささえ感じる頃になって、シンジがようやく離れた。
そして、シンジは何事もなかったようにシンクの上に干していたクロスを取り、零れた水を手早く拭き取った。空になってしまったグラスを起こし、ボトルに残ったミネラルウォーターを注ぐ。それを、ダイニングの椅子に座り込んでしまったカヲルの前に置いて言った。
「ごめんね…僕、心配で…カヲル君、目立つし、人当たりいいし…」
身を屈め、熱っぽく囁くシンジの両眼の底には、昏い何かが蟠っている。それを直視するのはカヲルにとってかなりのエネルギーを要したが、カヲルは逸らさなかった。逸らしてはいけない、と判っていたから。
「だから…今度からああいう席でお酒飲まないでね。お酒飲んだ時のカヲル君があんなに艶っぽいなんて、僕…知らなかったよ」
「…そうだね…僕こそ、心配掛けてごめん。やめておくよ」
そう言って、カヲルは口許を隠すようにシンジが注いだグラスを口に運んだ。それを見て、シンジが安堵したように吐息しバスルームの方へ足を向ける。
カヲルはそれを見送って、グラスの中身を飲み下す。先程と同じ水の筈なのに、砂でも飲んでいるかのようで…ひどく喉に支えた。
***