――◇*◇*◇――

 中学からの同級生で、同じ高校に通い、大学も互いに近いところへ行くことが決まった時、二人でアパートを借りようという話になったのは、至極自然な成り行きだった。むしろ、ちょっとしたことですぐ熱を出すカヲルの身体のことを考えれば、タカミはむしろ好ましいとも思っていた。
 昨年末、丁度今回のような寒波が来て、カヲルが体調を崩して寝つくまでは、何もかも順調だったといって良い。
 あのときも確かプログラムのチェックか何かを頼んでいた。約束の日が近くなっても連絡がないので変だとは思っていたのだが、主治医のほうから連絡がきた。不意に職場へ電話がかかったのだ。何かと思ったら、また発熱して寝ついているという。
 同居人がカヲルに言われていつもの薬を貰いに来たというから、退勤途中にアパートへよってみた。
 同居人―――――碇シンジは、大学を休んで付き添っていた。熱は微熱程度にまで落ち着いていて、カヲルはタカミの来訪に冗談口を叩く余裕があった。
「・・・・本当に、君がいてくれて助かったよ。無精なたちではないくせに、自分のことにはひどく無頓着だからね」
 シンジは、タカミがかけた言葉に熟れすぎたトマトのようになって手を振った。
「とん・・・・・とんでもないです、僕なんか、カヲル君に助けて貰ってばっかりで・・・・・・」
 およそ日本人的美徳と疎遠な父親を知っているだけに、シンジの繊細といえば聞こえは良いが気弱ともとれる言動を、タカミは過剰に好意的解釈をしていたかもしれない。

 ――――――――――おそらくは、その夜のことだったのだ。

***

 起きていられないほどの頭のふらつきがとれたため、カヲルはシャワーを浴びて服をかえた。そして自分の部屋に戻ってみると、シンジが蜂蜜入りのレモン湯を持ってきてくれたところだった。
「蜂蜜なんか、あったっけ?」
「ううん、榊さんが持ってきてくれたんだ。あと、レモンも。他にも果物がいくつかあるみたいだけど、まだ包みほどいてなくて・・・。もし他にも何かお腹に入りそうなら持ってくるよ」
「ありがとう。ほんと、タカミのいう通りだね。僕一人だったら今頃アパートの中で白骨になってるとこだった」
「・・・・・やだなぁ、怖いこと言わないでよ」
 このときの一瞬の空隙を、カヲルはシンジが笑いで流したことで気づけずにいた。
「・・・美味しい」
 レモン湯を含んで、カヲルは笑った。そうすると、シンジが安心すると知っていたから。
「僕はもう大丈夫だから、明日は授業に出たほうがいいよ。実験の準備が大変みたいなこと、言ってただろう?」
「うん、でも・・・」
「授業はノートを写させて貰えばいいかもしれないけど、実験はそうもいかないだろう? 僕の所為でシンジ君を留年させたら申し訳ないもの」
 実験の一つや二つで留年沙汰になるわけはないのだが、カヲルはそう言って笑った。
「そう・・・?じゃ、明日の朝の様子を見てから決めるよ。それでいいでしょ?」
「ありがとう。何から何までごめんね」
 トレイを下げながら、シンジが部屋の明かりを消す。
「じゃ、おやすみ。カヲル君」
「おやすみ、シンジ君」
 ・・・・・寝つきの悪い癖に、全く灯がないと寝つけないカヲルは、暫くベットサイドの明かりだけはつけている。そのぼんやりした明かりで、暫く天井を漫然と目に映していた。
 いつの間にか目を閉じ、ふと目が覚める。その間に短い夢を見ていることもある。そんなことを何度か繰り返して、ようやく眠りに落ちるのが常だ。だから、目を開けたとき目前にシンジの顔があっても、とっさに状況を理解できずにいた。
「・・・・シン・・・ジ君・・・?・・」
 ベッドの端に掛け、身を横たえたカヲルの両肩に手を突いている。それがどういう体勢かカヲルが理解するよりも早く、シンジは行動を起こしていた。
「・・・・んっ・・・・・・・・・・・」
 両肩を押さえつけ、口づける。ただ唇が触れるような、生易しいものではない。舌先で歯列をこじあける、それは侵入だった。
 息苦しさにもがき、カヲルは行動の自由を阻んでいるシンジの腕を掴む。しかし、寝込んだ後のカヲルの腕に、それを押し退けるほどの力があるわけもなかった。瞬間的に過剰な出力を要求された腕が、痙攣というかたちで悲鳴を上げる。
 力を失った腕が、滑り落ちる。呆然というより愕然として、一瞬呼吸すら忘れた。
 湿った音とともにシンジが離れたとき、見開いたままの紅瞳には涙がたまっていた。
「・・・・・どう・・・・して・・・・・」
「・・・・好きなんだ・・・どうしようもないくらい・・・・・」
 熱っぽい言葉を吐くシンジの目が、言葉と裏腹にひどく陰惨な光を湛えているのが怖かった。
「・・・・・シ・・・ンジ君、シンジ君!?・・・・」
 言葉が出てこないから、ひたすらに「優しい同居人」であった筈の人物の名を掠れた声で呼ぶ。
 あるいは入眠時幻覚といわれるもの、極めつけに悪い夢で済まされるならどんなにいいか。しかし、シンジの手が抑えてつけている肩の痛みが、ゆっくりと全体にかかってきているシンジの身体の重みが、そんなものであろうはずもなかった。
「・・・・・やめ・・・っ・・・・・!!」
 発しかけた抗議はまた唇で塞がれる。反射的に閉じた目から涙が滑り落ち、先刻シンジが替えてくれたばかりのピローケースに染みをつくった。
 肩を押さえていた手が襟元に滑る。ボタンが外れ、滑り込んできた手の感触に鳥肌が立った。すべてのボタンが外されてしまうと、広げられた襟元に唇が吸いつく。
「・・・・・っ・・!!・・・」
 自由になった唇から、声にならない声が上がる。熱のひきかけていたカヲルの頬に再び熱の兆候が現れ、喉の奥で風のような音がした。
 呼吸いきを乱し、それでも震える手で押し戻そうとする。
 だが、恐怖と困惑で頭の中が飽和状態のカヲルに、シンジの次の言葉がとどめを刺した。
「・・・こういうの、イヤ? ・・・・・・榊さんなら、いいの?」

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