ため息 ひとひら 滲む硝子
レクイエム唄って
誰か・・・・・・誰か・・・・・・
「”NO APOLOGY Ⅲ”」
午前中から鉛色の雲がびっしりと空を覆っていたが、夕刻近くなってからたまりかねたように白いものが舞いはじめた。
社会科準備室に錠を下ろして、人気のなくなった校内を歩きはじめた加持は、ふと窓外の雪に目を留める。
――――――初秋の事件でふたりが姿を消してから、はや数ヶ月が経つ。確かに加持の身辺はゼーレらしき影に脅かされることもなく、何の変哲もない学校用務員としての生活が続いていた。
加持は一応ふたりについては休学届という形で処理し、周囲の不審を買わないように一応の手続きを踏んだ。だが、その行方は杳として知れぬ。ふたりの出自についていくばくかの情報を持っていたらしい高階は連絡がとれないままだ。病院の方がちゃんと機能しているところを見ると、ゼーレの手が及んだということでもないらしいが。
シンジは欝々としたものを溜めこみながらも一応登校しているらしい。
表面上は、何の変わりもない日々が流れてゆく。
だがその景色の中に、あのふたりだけがいない――――――。
見る間に、雪が視界を埋め尽していく。景色は白い綿帽子を被りはじめていた。
「積もるな・・・・・・」
独りごちて、加持は階段を降りた。マフラーを巻きなおして玄関に立つと、グラウンドは既に白かった。
風はなく、ただ雪が静かに降り積もる。昼間の活気に満ちた喧騒も絶え、世界に自分がただ独り残されたような錯覚すら与える静寂が、加持を押し包んだ。
一瞬、思わず呼吸を呑む。
白い沈黙に覆われたグラウンドに、人影をみた。
寄り添うような銀と青銀の髪。雪と同じ色のコートを纏う肩を寄せ合い、舞い落ちる雪を見ている。
だが不意に、鋭い紅瞳が加持を射る。
怜悧な美貌は、敵意と紙一重の緊張をはらんでいた――――――――。
・・・・・・・だが、加持は、呑みこんだ息をゆっくりと逃がす。
足跡ひとつないグラウンドに、人の姿などない。
黄昏時の光の加減が見せる幻影。
加持は傘をさし、白い宵闇の中へ歩き出した。雪は音を吸うという。普段なら緑地帯越しに聞こえてくる筈の街のノイズすら聞こえない。
―――――今更神の加護を望めるほど、この地上は清くない。
醒めきった紅瞳。熱のない声。まるでつい先刻の事のように思い出せるのに、もうあれから一年以上が経っているのだ―――――。
***
降誕祭間近い雪の日だった。
加持が目を覚ました時、いつの間にかベッドを抜け出し、シャワーまで浴びて身繕いを済ませたカヲルは開きの小さな窓のすぐ傍に椅子を寄せて、水割りのグラスを傾けていた。
「窓の傍なんか、寒いだろうに」
身を起こしてガウンを羽織りながらそう言っても、カヲルはそれに対して何の反応も示さなかった。ただ、無表情にグラスの中の琥珀色を喉奥へと滑らせただけ。
「積もったな。・・・・・・そういえば、予報でそんな事言ってたか」
窓の外はまだ雪が降り続いている。
「今年はどうやらWhite Christmasかな・・・・」
もはや返事は期待してはいない。だがそのとき、グラスを口に運びかけたカヲルが、何事かを呟いた。
「何だって?」
よもや応えがあるとは思っていなかったから、かすかな驚きをもって加持は問い返した。
「・・・・・・何でもありません。シャワーぐらい浴びたらどうです」
突き放すように、カヲルがグラスをテーブルに置いて立ちあがった。
「・・・違いない」
加持は苦笑して、バスルームへ足を向けた。
「先に帰るかい?」
部屋から出ていこうとするカヲルに気づいて、そう問うてみる。
「外の空気を吸ってくるだけです。・・・すぐ戻ります」
「判った」
この寒い中を、などと言っても沈黙で報われるのが判っていたから、加持はそのままバスルームの扉を押した。
―――――――今日も、こんなつもりで会った訳ではなかった。
だが実際には、加持は麻薬に似た抗い難さに敗け続けていた。
「ゼーレ」から追われていた彼。追う立場であった加持がその身の安全と限定つきの自由の保障を、「ゼーレ」と交渉した。・・・・その見返り。
狂熱も冷め、汗でべとついた身体に熱湯の針を当てながら、胸を圧する底無しの空しさに深く息を吐いた。
―――――――最低な奴だな、お前は。
自身の罵声に苦笑するのも、いつもの事。
卑劣な取引。持ちかけたのが他ならぬ向こうである事が、免罪符になるなどと思っているわけでは決してない。身近に迫ったゼーレの手を躱すために、差し出すものは他になかった。・・・・・彼にしてみれば最後の手段。
対する加持に、他の手段は取り得なかったか?母子3人、そしらぬふりで見逃してしまえば・・・・年端も行かぬ子供にこんな酷い選択をさせずに済んだのではないか?
だが、ゼーレという組織の目が欺けるとはとても思えなかった。
だから・・・・・・・。
必死にいいわけを探している自分に気がついて、加持は水音にうたれながらおさまりの悪い髪を掻き毟った。
***
加持がバスルームを出た時、部屋の中にカヲルの姿はなかった。
外の空気を吸ってくる、という言葉どおりなら、この寒空にまだ外をふらふらしているというのだろうか。たしか、カッターシャツの上に何も羽織らない・・・・・いたって軽装で出ていった筈だ。
悪い予感がして、加持は着替えると上着を掴んで部屋を出た。
外、という言葉に、加持は何の躊躇いもなく屋上を連想する。何かに急かされるようにして階段を駆け上がり、冷気がふきこんでくる屋上への無愛想な段の前に立ってはっとした。
金属の軋るような音。普段は閉まっているべき屋上の扉が、風に揺れている。
重く錆びた扉を開けた時、一瞬呼吸を停めてしまうほどの雪風が吹きつけて加持を遮った。
何と叫ぼうとしたのか、記憶には無い。だが、風速はさほど無いくせに肺腑の奥まで凍らせるような風に、加持の喉は締めつけられた。
その光景は、いっそ非現実的であった。
コンクリートの無機的な暗灰色も、遠くの景色も、すべてが白で覆われ・・・・空を覆う鉛色の雲さえ、降りしきる雪で見ることはかなわぬ。天も地もただ白だけに埋め尽くされ、音すらも隔絶した世界に、彼はいた。
降りしきる雪の、苦しいまでの白さの中。かき消されそうな足跡の先に、彼はその身を横たえていた。
白い膚、白銀の髪は雪に紛れ、そのまま消えていくかのようであった。
そしてそれを、彼は望んでいる―――――――?
加持は頭を振り、雪の中へ駆け出した。カヲルを抱え起こし、雪を払う。だが、その身体は払った雪よりも冷たい。
「おい・・・っ・・・・!」
冷たい頬、蒼い唇が応えることはなかった。
「なんて事を・・・・!」
***
鼓動は途切れてはいない。微かだが呼吸もある。加持は眩暈のような感覚に苛まれながらカヲルを部屋に連れ戻し、湯を張り替えた浴槽へ入れた。
脱がせた服の下の無数の紅い痕に、今更のように胸を抉られながら。
だが、白い頬が温かみを取り戻し、紅瞳が物憂げに開かれたとき、紅唇がのせた言葉は容赦のかけらもなかった。
「・・・・・・湯なら、もうつかいました」
蔑み、哀れみとも違う、ただ静かな紅瞳が、加持をそう突き放す。
「そういう問題じゃないだろう。この天気に、あんな薄着で屋上に寝っ転がる奴があるか」
流石に、声を荒げる。だが、カヲルの返事は窓外の雪のようであった。
「・・・・・・それで、僕がどうにかなるとでも?」
17th-cellを持つ者。その意味を、加持は全部では無いにしろ識っている。
「だからって・・・・!!」
加持の言葉を最後まで聞かず、カヲルは浴槽の縁に手をかけて立ちあがった。そして、誰もそこにいないかのように加持の傍を通りすぎ、備え付けのバスタオルを手にする。
・・・・その手を、加持が捉えた。
「・・・・・・・」
強い力で捉えられた手首を、カヲルは理不尽なものを見るようなまなざしで眺め・・・そして振り返る。加持は澄んだ紅瞳に捉まる前にその頤を捉え、唇を塞いだ。
白い肩が、小さく跳ねた。
捉えられた手に力を入れていたのが、一体何秒ほどだったか。
諦めたようにタオルを放す。いくばくの逡巡もなく、加持は繊い肢体をバスルームの壁に押しつけた。
唇から頚、頚から胸へ降りていく唇を、カヲルは拒否しない。ただ、幽かに吐息して頭部を壁に預けただけだった。
加持の呼吸が余裕のないものになってゆくのを聴き取り、熱のない声で呟く。
「・・・・服・・・・濡れても知りませんよ・・・・・・」
呟きは、委細構わぬ衝動で報われた。激しい息遣いで、あえかな苦鳴も届きはせぬ。押し寄せた充溢感に掠れた呻きを洩らして、カヲルはゆっくりと意識を手放した。
宴果て、肩にかけられていた白い手が滑り落ちたことで己の所業に気がついた加持は、声もなく繊い肢体を抱きしめるしかなかった。
***
互いを傷つけるだけの関係だったのかもしれない。
待つ者がいるわけもないその部屋で、加持はいつかと同じ酒を傾けていた。
あの後しばらくして、降誕祭に浮かれる街を歩いていたときにカヲルはぽつりと言った。
―――――今更神の加護を望めるほど、この地上は清くない。
だからって君が基督を演ることもあるまい、とまぜっかえしたつもりだったが、カヲルは笑わなかった。
そう、彼にとっては、地上の時間など意味を持つものではないのだ。・・・・彼自身の為ですらなかった。
すべては、ただひとりの為に・・・・・・・
―――――堕ちようが汚れようが、今更何とも思いません・・・僕はね
自分に何ができただろうか、と加持は自問する。
だが、ややあってグラスを置き、頭を抱えた。
あったにしても、結局自分はなにもしなかったのだ―――――。
降りしきる雪の中に五体を投げ出したカヲルの、妙に安らいだ表情が忘れられない。まるで身にまとわりつく澱を雪で清めるかのように、身を刺すような冷たさに身体を晒して・・・・・・・
何事もなかったかのような平穏が、今の加持にはかえって針の筵であった。
おそらくもう、ゼーレの手が伸びることはない。人工進化研究所は冬が来る前に表向き閉鎖になった。しかし、碇ゲンドウが当局の追及を逃れて行方を晦ました以上、カヲルが研究所をそのまま放置するとは考えにくい。
まだ、孤独な戦いを挑むつもりなのか。研究所に・・・否、碇ゲンドウに?
ヒトにあらざる力を持っていたとしても、彼はまだ少年なのだ。碇ゲンドウという男は得体が知れない。ことによると、ゼーレよりたちが悪いかもしれない。・・・・・たった独りで挑むには、危険過ぎる相手だ。
そして何より不安なのは、カヲル自身が生き残るつもりはないのではないかと思われる節が多分にあることだ。
自身は汚れようが堕ちようが構わないとカヲルは言った。
だから、雪の中に臥したカヲルの表情が気にかかる。すべてが終わった後に、彼自身が真の平穏を得るつもりはあるのだろうか・・・・・・?
今、何処にいるのだろう。
だが、研究所のあるこの街にいれば、どんな形であれ彼は必ず戻ってくる。その時に、償う機会があることを・・・・・・加持は何者かへ祈っていた。
――――――――Fin――――――――
Evangelion SS 「NO APOLOGY Ⅲ」
・・・ということで、大家にばっかり甘えてはおれぬとばかりにupdateでございます。一回ポッキリかと思っていた「NO APOLOGY」(<表の「世はすべてこともなし」の裏SSシリーズ )、ついにⅢの登場。
タイトルの元ネタはやはりかの御仁です。アルバム「WHY DO YOU WEEP?」より。時間的には第5話終了後数ヶ月、季節は冬。大家が恥ずかしげも無く再開宣言をぶち上げたので、出鼻を挫くべく書いてみました♪(<我ながら命知らずだと思う昨今) 要するに、カヲル君とレイちゃんが姿を消してしまって、気分は消化不良のままに置いてきぼりくった加持さんという構図ですね。
相変わらず、非道です。いえ、どっちがとも言えませんね、この際。
要するにカヲル君を雪に埋めてみたかっただけかいと仰られればその通りと居直るしかない代物です。あと、お高い受っぷりも相変わらず。お気の毒な加持さん、惚れた相手が悪かったねえ・・・
レイちゃんさえ幸せになれば、自分なんかどーなったっていいというのがカヲル君のスタンス。対する加持さんは、判っちゃいるけど未練たらたら(爆)そして裏にまわると極悪になるか陰も形もなくなるのがシンジ君(<今回は後者)・・・ここへ来て、Ⅰを書いたときのプロットなんかどこかへすっ飛んでるのは明白ですね。はいそうです。万夏は所詮RKS。「カヲル君を幸せにできるのはレイちゃんしかいない!!」というのが万夏の根っこですから・・・・まあ諦めてやって下さいまし。
さて皆様、大家の再開宣言が見事実現したらご喝采。(<それまでに万夏が大家に刺し殺されるかも・・・・(^^;)
2000.2.28
というのが、upload当時の「言い訳」です。
シンジ君にはカヲル君は救えないし、加持さんは結局浮気相手だし、えーいやっぱりレイちゃんしかいないじゃないか!と達観(<んなえらいもんかい)した頃に書いたSS。
2000年というと、大家(千柳亭春宵)は「そして御使は~」を完結させるんだっつーて勢い込んでた時期ですね。結局それで力尽きて「すべて世は~」のほうが17年も凍結状態だったと。はっはっは。なーんてひとを笑ってられる立場でもなくて、万夏もこのあとキレイすっぱり書いてなかったです。発掘作業してみて自分で吃驚。
さて…大家が「すべて世は~」の続編にかじり付いてるようです。まだ非公開だけど。ツッコミどころ満載で万夏としては笑いが止まらないので、近いうちに何か書くかも知れません。くふふ。
それでは皆様、次回まで万夏が正気でいたら・・・・・いや、何も申しますまい・・・・・・(^^;
2017.10.9
暁乃家 万夏 拝