そして銀の弓の如き月の下、光を放つかのような白い翼が翻った。


Akino-ya Banka’s Room Evangelion SS
「Desperate」
廃園にて <後編>

「・・・・・あ・・・ぁ・・・ぁ・・・・」
 絶え入りそうな、細い苦鳴。寝台の端にかけたカヲルの下肢の間で、無造作に束ねられた髪が揺らいでいた。
 与えられる感覚に何度も細い身体を撓らせるが、その下肢を片手で抑えられていては、逃れることもできぬ。せめて縋ろうとする手は指先だけで捕らえられ、感覚を持て余して声が掠れた。
 しなやかな下肢が激しく引き攣った時、加持はゆっくりと顔を離した。
 僅かに開かれた唇から漏れる熱い息。白い身体は桜色に染まり、伏せられた睫毛が切なげに震えている。
 ―――――先夜、加持を狂わせた魔物とのあまりの違いに、加持は惑う。
 我を忘れてのしかかった加持に自身を貪らせるまま、あれは嗤っていた。
 その身を枯れた水盤に横たえて加持の狂態を見上げ、おきのような紅瞳を歪ませて哄笑する様は魔性そのもの。何度となく昇り詰める間に何を問われ、何を喋ったのか、もはや憶えぬ。ただ、底無しの快楽に何度でものめり込んでしまったことが、かすかに思い出されるのみだった。
 加持が下肢を抑えていた腕を離すと、たまりかねたように上体を乱れた敷布のなかへ倒す。身の奥から突き上げる衝動を抑えつつ、カヲルの身体を仰向けにして乱れた灰金髪をかきやった。
 見上げているのは、熱に潤んだ緑瞳。伸べられる繊い手を掴んで褥に押しつけ、その首筋に顔を埋める。だが、何度となく掠れながら紡がれるあえかな声が、自分の名だと気づいて、加持ははっとした。
 首筋から、その下に滑らせかけていた舌を離し、抑えていた両手を解放する。緑瞳が微笑み、白い腕がもう一度伸べられ・・・・加持の首に縋りついた。
『・・・・・憐れなもの。己の未来を投げ出して与えた相手は、欲得ずくか』
 声でない声に、思わずびくりとする。
 カヲルの声ではなかった。それはまぎれもなく、あの月下の魔物の・・・・!!

***

 眠ったカヲルに毛布をかけ、加持は続き部屋へ移って机に広げられた書籍の山を漫然と捲っていた。
 司祭長キールが、ある目的のために魔神を降ろしたという話。その真偽を確かめるために、加持はこの国へ送り込まれた。
 それをどこまで察知されたものか、こんな所へ配置を変えられたが、命をとられないだけまだましというものだった。早晩逐電してもよかったはずだが、それでもこの国に居座り続けたのは、功名心を捨て切れなかった所為かも知れない。
 そんな矢先に現れたのが、カヲルだった。
『・・・・・憐れなもの。己の未来を投げ出して与えた相手は、欲得ずくか』
 不意にあの声が甦り、胸に刺さる。このことが本殿に知れたら、カヲルは司祭としての道を断たれるのだ。
 しかしカヲルは、それでも良いと言った―――――――――。
 あわよくば手がかりを得ようという気持ちが無かったと言えるか。そう自らに問えば、禁を犯したことよりもそちらの方が胸が痛かった。
 その時、隣室で声にならない声が上がり、加持は思わず本を取り落とす。
 一瞬で身を翻し、続き部屋の扉を殴りつけるようにして開けた。直後、思わず硬直する。
 僅かに開いた蔀から洩れ入る月の光。
 その蒼い光に凌じられでもしているかのように、部屋の主は苦しい息を吐いて身を撓らせていた。
 優しい灰金髪アッシュブロンドが軋るほど頭を擦りつけ、繊い指は関節が白くなるほど力を込めて敷布を掴んでいる。
 浮かべているのはまさに苦悶の表情なのに、その声はなぜか甘い。
 間断ない呻きに奪われていた耳を、突如羽音が打った・・・・・・・
 加持は見た。少年の上で翼を広げた者を。それはゆっくりと振り返り、こちらを見て嗤った。
 その眼――――――――血の紅!!
 だがその姿は次の瞬間にかき消えた。
 暫時、呆然。はっとして、寝台に駆け寄る。
「・・・・・カヲル君、カヲル君!?」
 揺すぶられ、カヲルが緑瞳をうっすらと開く。
「・・・・どう・・・しました・・・?」
 いつもと変わらぬ穏やかさをその表情に見て、加持は内心で胸を撫で下ろした。
「いや、すまない・・・また魘されていたみたいだったから・・・」
「そうですか・・・ありがとう」
 カヲルは穏やかに微笑んだ。その笑みが、加持の胸を刺しているとも知らず。

***

「そこいらの魔物なら十分通用するけど、あなたの目的のモノに対しては、おそらくはお守り程度の代物ね。ミサトを未亡人にしたくなかったら、適当に切り上げていらっしゃい」
 そういって、旧い友人が渡してくれた剣がある。
 刀身にしゅをこめた剣。もとよりわたりあうつもりなどなかったから、本当に「お守り」のつもりで持ってきていた。
 自室の寝台の下に隠していたその剣を取り出し、加持は寝台にかけた。
 ゆっくりと、抜く。刀身が、月光をはねて冴えた光を放った。
 もしあれが、加持の想像通りのモノであったら。
――――――耳を打った羽音が、甦る。
 だとしたら、「カヲル」は?
――――――縋りつくような、声音。
 どうすればいい?
――――――全てを嘲笑するような、紅瞳。
 鞘に納め、傍らに置いて頭を抱える。

***

 月が、細い。
 穏やかな寝息をたてているカヲルの頭の下からそっと腕をはずし、加持は身を起こした。
 絹糸のような髪を武骨な指に絡める。しばらくそのまま安らいだ横顔を見つめていたが、何かを思い切るように手を引いた。
 手早く身繕いをして自分の部屋に取って返し、布に包んだ剣を掴む。暫時躊躇ったあと、布を取り去って部屋へ戻った。
 カヲルはまだ眠っている。柄と鞘に手をかけ、寝台に歩み寄る。そして、先刻布を取り去るのに数倍する間・・・・・躊躇い、ついに鞘を払った。
 その切っ先を、首筋に向ける。
 白い喉許には、つい先刻加持がつけた紅の印が残っていた。
 ・・・・その時。
『これが、おのれの選択か』
 カヲルが、いや先刻までカヲルであったものが、紅の両眼が開いて加持を見た。
『私が死ねばカヲルも死ぬ。それを知っていてなお刃を向けるか。・・・・・憐れな子供。己の未来を投げ出して与えた相手は、結局のところ欲得ずくか』
 加持が回避の動きに入る前に、加持は猛烈な力ではじき飛ばされていた。壁に叩きつけられ、それでも跳ね起きた時、ゆっくりと身を起こす彼の前で黄金の飛沫が消えていくのを見た。
 彼が完全に立ち上がる前に、2度目の打ち込み。しかしそれは彼の眼前で、指先だけで止められてしまう。正確には、その前に展開する、黄金の八角形によって。
『呪をこめた刃か。あいにくとその程度が効くような身であれば、わざわざ手間ひまかけて降りることもなかったであろうよ』
 秀麗な口許には、全てを嘲笑するかのような笑み。それはおそらく、自身にも向けられていた。
「・・・・やっぱりそうか。君が・・・・」
 いかにも無造作に、止めた剣を払う。
『・・・・・・・“そう”であれば、何とする?』
 再度叩き付けられた衝撃は、瞬間、加持の呼吸を止めた。胸郭で鈍い音がして、気道を生温かいものが駆け上がる。
『・・・殺すか、この私を』
 今度という今度は立ち上がれない加持に、彼はゆっくりと歩み寄り、顎を捉えた。だが加持は、紅に染まった口許にいつもの飄々とした笑みを浮かべて言った。
「・・・・それほど自分を過信しちゃいないさ。ま、そんなところまで期待されていないってのもあるが・・・でもそれで、カヲル君が自由になるならね」
 血泡と共に零れ出した加持の言葉にも、彼の表情は動かない。
「分の無い勝負だが、賭けてみる価値はあった・・・。・・・・君が、俺の予想通りの者だったとしても・・・・」
 優しく、笑う。
「・・・・刺し違えることくらいできると思ったのさ」
 繰り出された切っ先は、彼の脇腹を掠めて空を刺した。
 剣を持つ手が捉えられ、その中で剣の上下が返される。
『・・・ならば、望み通り殺してやる』
 ――――――壁に押しつけられた加持の身体が、ビクリと震えた。
 紅い飛沫が、白い頬に散る。しかしその表情そのものは、些かの感情も含んではいなかった。・・・・・あの、全てを嘲笑するような笑みもまた。
 加持が、自分の胸に吸い込まれた剣から紅く染まった手を離し、そっと伸べた。
 しかし彼の頬に届く前に、加持の身体はゆっくりとかしいだ。
 伸べられた手が、宙に踊る。・・・・・そして、水音。
 彼は、理不尽なものでも見るように目を閉じた加持の顔を覗きこんだ。
 無精髭だらけの頬に、不意に紅が散る。
 それは他でもない、彼の両眼から頬を伝い落ちたものであった。
 掌に受けて、それを見た紅瞳が僅かに揺れる。
「・・・・・泣いているのか・・・僕は」
 広がり続ける紅の中に膝をついたまま、彼はしばらく動かなかった。
「・・・・莫迦なひとだね。・・・“カヲル”はこの世に生まれ出る事もできなかったんだよ。・・・・最初っから、いやしなかったんだ」
 白い頬を紅い流れが伝い落ち、彼の膝の前に小さな波紋となって消える。
「僕は、ただひとりのために地上に在る。・・・・だから、今は死ねない」
 動かなくなった加持の、まだ温かみの残る頬に触れて、呟く。
「でも僕が務めを果たして、まだ命があったら・・・・その時はあなたにあげるよ」

 その時、白い背に紅い傷が走った。

***

 苦しげな息遣い。
 排水溝に消える紅い流れ。
 冷たい敷石の上に伏せった彼の背からは、人にはありうべからざるものが覗いていた。
 呻きと共に彼の身体が反り返り、それは完全に姿を現した。

 ―――――そして銀の弓の如き月の下、光を放つかのような白い翼が翻った。

――――――――Fin――――――――


Akino-ya Banka’s Room
Evangelion SS 「Desperate」

「廃園にて」に関するAPOLOGY…..

いい加減に本編書けよ、万夏

 はい、だうもすみません<(_ _)>

 かの「ダミーシステム K」のyumikoさんからリクエストいただきました、「加持×カヲル」でございます(^^; yumikoさん、リクエストありがとうございました。愉しんでいただけたら幸いです♪

 それにしても・・・・今回は輪をかけて非道だった(ーー;;; 要するに「遠雷」本編が始まる前に、すでに加持さんはお亡くなりになっている計算になります。未亡人ミサトさん・・・・ごめんなさい<(_ _)>

 「この大嘘吐き!!」と怒鳴られそうですが、これでも万夏は加持さんはEVA界随一の「いい男」だと思っているのです。あんまり非道な役は振りたくないんですがねえ・・・・・(<すでに誰も信じてくれない)

 「加持×カヲル」は「NO APOLOGY」で一度やっているのですが、まさかリクエストがくるとは思ってもみませんでした。有明で水中花にされそうなネタだよな、と思いつつ書いた代物でして、やっぱり加持さんの扱いが非道です。

 今回のリクエストは「寄りかかる(縋りつく)カヲル君と、クールな加持さん」だったよーな気がするのですが、万夏んとこのカヲル君は妙にお高いところがあるので、精神的に追いつめられた時に寄りかかろうにもなかなか寄りかかる相手がいません。(シンジ君はどーしたって?そりゃ荷が重すぎて一緒に沈没するから不可)ところがそれを一度某タ@ミ君に振ったら実に楽でして(^^; 今回加持さんになかなかなびいてくれなくて困りました。(今回舞台設定を「遠雷」に飛ばしたのも、実はタカ@君を話から切り離すために必要だったからなんですナ)

 そりゃカヲル君からすれば、妙につかみ所の無い、いつ離れていってしまうかわからない御仁よりは、決して自分のものにはならないにしろ、ただただ無制限に甘やかしてくれる身内のほうが気持ちいいに決まってますからねえ(ーー;
・・・ちったぁ成長してくれ、カヲル君(ーー;;;;

 それでは皆様、次回まで万夏が正気でいたら・・・・・いや、何も申しますまい・・・・・・(^^;

1998,2,14

暁乃家万夏 拝