雨に眠る

「他の誰かを 好きになっていいの?」


Akino-ya Banka’s Room Evangelion SS
「Nobody loved me.」

雨に眠る


 降り続く雨を怨むように、懐かしむように、彼はその中に立ち尽くして昏い空を見ていた。

***

「まだ、残ってたのかい?」
 加持の声に、彼はふと引き戻されたように窓を離れた。
 部活の後片づけも済み、静まり返った音楽室。雨、そして黄昏と相俟って室内は闇に沈もうとしていた。
 その闇の中でも、彼の銀の髪はひどく目立つ。
「・・・お疲れさまでした。加持さん」
 加持は院生だが、高等部と中等部の弦楽部へOBとしてちょくちょく教えに来る。今日も土曜日ということで来ていたのだった。
「いや。君こそ大変だな。当番かい?」
「それもありますけど、僕が最後まで残っていたので」
 一つ一つブラインドを降ろす。また少し暗くなる。
「・・・・また、雨を見てたのかい?」
「別に・・・・」
 そう言いながら、最後の窓のブラインドにかけた手が止まっている。

 その目は暗い窓を通して外を見ていた。
 降り続く雨を。
 中等部としては長身で、しかし高等部としては華奢過ぎる。浮世離れした美貌もだが、なによりその銀の髪と紅瞳は学内でもひどく目立った。
 今年高等部へあがったばかりの彼が、既にして高等部はおろか大学部、それどころか院生である加持にまで噂が聞こえているということを、本人は知っているのかどうか。
 些細なきっかけ。ヴァイオリンのケースを抱えて、雨止みを待っていた―少なくともその時はそう見えた―彼を、加持が車に乗せた。楽器が違っても弦楽部で、話をしたことがないわけではなかったから。
 『陥とした奴はまだいない』という、もっぱらの噂だった。噂に興味を惹かれて、手を出したといわれれば弁解の仕様がない。だがおそろしいほど簡単に、そのほそい身体は加持の両腕に滑り陥ちた。
 だが、れることはなかった。いっそ冷淡な程だった。加持の行為を責めるでなく、恐れることもない。まるで行為の意味すら理解ってはいないかのように。
 数日後に声をかけても、その反応に以前と何の変化もない。まるで何も覚えてはいないかのように。・・・だから加持も、何もなかったかのように振る舞うしかなかった。
 夜来の雨は、昼が下がっても、夕刻になっても止む気配を見せず、それどころか雨脚を強めさえしていた。
「・・・傘、あるのかい?」
「ええ、一応。朝から降っていましたし」
「車で送るよ。天気がこんなだし、暗くなるのも早いだろう」
「・・・すみません」
 答えまでの、一瞬の空隙。それは逡巡なのか、単に他のことへ気をやっていたがための時差なのか。
 あの日から、ひどく頼りなげな横顔と、常の年齢不相応な程の落ち着きとが繋がらず、加持を戸惑わせていた。
 先刻・・・窓越しに雨を見るカヲルの表情が、ほんの少しだけあの日のそれに似ていたような気がして、実は少し前から戸口に立ったまま彼を見ていた。
 だが、振り返った時の彼は、いつもと同じ。
 深入りするつもりはなかったのに、あまりに無反応であることが加持を苛立たせていたのかもしれない。・・・・・いずれ、身勝手な話だが。
 それでも夕闇と包むような雨の音が、加持を動き易くさせていた。顎を捉え、天下る銀の糸を映し続ける紅瞳を自分に向ける。
 唇が、かすかに動いたかも知れない。だがそれがどんな言葉であったか、あるいは本当に言葉であったのか、加持は確かめようとしなかった。
 唇を重ねる。カヲルは、それを拒みはしなかった。

***

 弦楽部きっての逸材、ヴァイオリンパートの自慢の種。そうしてもてはやされる割には本人はひどく静かで、物腰にそつがない。
その彼が、ひどく頼りなげな顔で雨止みを待っているのを見て、何故とはなく声をかけた。
 マンションの前まで送った加持が、勧められるままに部屋に上がって紅茶の饗応まで受けてしまったのは、彼が車の中でようやく見せた年齢相応な微笑の所為であったかも知れない。
 一家四人が住めるほどのマンションは、今は彼一人の住居であるようだった。部屋数を持て余してか、一つの部屋にすべての生活用品を持ち込んでいた。
 彼は自分のことは何一つ話さなかったが、学校のことはよく話した。
 大人びたもの言いと、時折見せるあどけなくすらある仕種。一種近寄りがたいほどに凛とした横顔と、いっそ泣きだしそうな頼りない瞳の色。
 世慣れないふうでもあり、逆にすべて理解っていて知らない振りを装っているようでもあり・・・・。
 ・・・それでも、立ち上がろうとした彼を口づけでひきとめると、細い身体を一瞬緊張させたものの、振り払うこともなく膝をついた。
 それを承諾ととった加持は、舌を絡めて逃がさず、片手で襟元を緩めた。息苦しさに彼が身動きするのを感じ取り、寸前で離して緩めた襟元に唇を移す。
 襟元を唇で軽くなぞりながら、ズボンからシャツを引きずり出す。そのシャツの隙から、些か無遠慮に指先を滑り込ませた。
「・・・っ・・!・・」
 紅点を探り当てられて、膝立ちのまま僅かに身体を撓らせる。かすかに声が漏れて、白い頬に朱を掃いた。
 たまりかねたように、加持にすがりつく。それを見透かすように、加持はその身体をラグの上に横たえた。
 その時の、熱で潤んだ紅瞳が、かすかに非難の彩を湛えているようで・・・・加持がぎくりとする。それでも今更止められるものでもなかった。
 舌先で首筋を溯行すると、彼は目を閉じて僅かに身を捩じった。
 激烈な抵抗はない。だがそのことが、かえって自分ではない誰かの存在を感じさせて、加持を迷わせる。
 あえかな金属音に加持がふと目を開くと、白い耳朶に小さな紅い十字架があった。
 ふと顎を捉え、左側の耳朶を見る。血のような紅を閉じ込めた十字架は、そこにはない。確かにピアス痕はあったが、もうほとんど消えかけていた。
 中断されたことに気がついたか、カヲルがぼんやりと目を開け、緩慢に加持を見やる。
 視線をかわすことを畏れて、加持は再び首筋に唇を寄せた。
 ひっかかった何かを押し流すように、昂りに身を任せる。
 加速していく動きに少しずつカヲルの呼吸も切迫していく。だが、熱に浮かされながら、その紅瞳はひどく静かだった。
 耳元のせわしない息づかいや衣擦れを通り越して、坦々とした雨音だけを聴いていた。

***

 雨の音。
 静まり返った音楽室では、息づかいさえひどく明瞭。
 背中から抱きすくめられたまま、緩められた衣服から忍び込む手に追い上げられる。
 とっくに自分で立っている力など失せてしまっているのに、なぜか達し損ねている。加持が腰かけているはずの机で身体を支えようと片手を泳がせるが、届かぬ。
 多分、この雨の所為。
 優しすぎる雨音の所為。
 雨にまぎれた優しい声をもう一度聞くように、身の裡から噴き上がる熱に浮かされながら耳を澄ます。
『・・・・・・・・・・』
 ひくり、と身を撓らせて吐息する。
 吐息にまぎれ、カヲルがせつなげに呟いた。
「・・・・・・嘘吐うそつき・・・」
 逞しい手に重ねていた白い手が、自然と左の耳朶をまさぐる。かすかに残るピアスの痕を捜し当てた指先は、何故ともなくそれを弄んだ。
 行為に刺激されたかのように、カヲルの呼吸がなおも切迫する。追い上げられて細い腰がはね、それに浮かされるように紡ぎかけた言葉は、不意に早くなった加持の手の動きに飛ばされた。
「・・・っ・・・!・・」
 膝頭が震え、滑り落ちる身体が支えられる。
「・・・・・・・・いいね?」
 耳朶を食むようにして囁かれた、今夜を約束する言葉は、カヲルには記号以上の何かを持つものではなかった。
 それでも収斂していく鼓動と、雨の音を聞きながら、荒れた呼吸のまま頷いた。

***

 明け方の薄闇の中で、カヲルが静かに身を起こした。
 加持はそれに気づいていたが、伏せたまま眠った振りをしていた。
 カーテンから漏れ入る重たげな明るみは、ベッドの上に座ったカヲルの上半身をぼんやりと照らす。
 ベッドの下へ落ちたシャツを緩慢にはおり、結局止まなかった雨の音を聞くように、カーテンの引かれた窓を見る。
 狂熱も冷め、カヲルの唇から漏れるのは気怠げな吐息。
 だが、その俯いた顔の輪郭を不意に水滴が滑った。
 ゆっくりと左の耳朶に触れ、声にならない声でカヲルが呟く。


聞こえたのか、それとも聞いたと思ったのか。加持は、思わず呼吸を停めた。

――――――――Fin――――――――


Akino-ya Banka’s Room Evangelion SS
「Nobody loved me.」


「雨に眠る」に関するAPOLOGY…..


書かないほうがいいこともある、
書かなきゃわかんないこともある

 構想段階ではともかく、書いちゃうと身もふたもない科白ってあるもんだなぁと思う昨今です。加持、それではただのナンパにーちゃんではないか!とじたばたしつつ書きました。加持ファンの方ごめんなさい(今更)

 大変長らくお待たせいたしました。
 ええこら加減で更新せんとまたぞろ出奔したと思われてしまふ・・・と泣きくさしで書きました。5555Hitを踏んでくださった方からのリクエスト「校内でカジカヲ」でございます。(後悔なさってませんか~?)当初「体育用具室」というお声もあったのですが、さすがにちょっとご勘弁いただきました。何故か?・・いやあの、大体見当のつく方もあろうかと思うのですが・・カヲル君を埃臭いマットなんぞに転がしたくない!というひたすらに万夏の我儘でございます。(S様ごめんなさい)
廃屋のコンクリート床とか、岩の上とか、フローリングとか、酷ぇ時には地べた(しかも一再ではない)に転がした奴の言いぐさじゃないぞ、といわれますと、平伏するよりないです。はい。
もう暫く加持は書けませんねー なんと言っても難儀です。
・・・とことん間男向きな人材ですね。根はまじめだと思うのですが、軽薄な振りして近づいてるうちに本気になって抜けられなくなる破滅型。悪いこたぁ言わないからとっととミサトさんと幸福になって頂戴、というのが今回まる一月じたばたした末の結論でござります(あっ石投げないで)

そうそう、これでもかというくらい思わせぶりな書き方をしてうっちゃりをかましている「ピアスの片割れを誰が持っているか?」ということについては、皆様のご随意に解釈していただいて結構です(笑)あと、最後にカヲルが呟いた科白も。

例によって、タイトルは池田さんがらみです。(「IS」ってご存じでしょうか?)シングル「風に吹かれて」より、c/w曲です。つくづく・・・池田さんの声って艶がありますねぇ・・・いやもう、これは聞いてみてくださいませ。


…というのが、1998.11.11に初回upしたときの言い訳です。どこまで書いたもんだろう、どこから書かない方がいいんだろう、と悩み抜いたあげくよくわからん話になってしまったなぁ…という反省はありました。

結局、「心を寄せている誰かの帰りを待ちきれずに、なんとなく加持さんに寄りかかっちゃったカヲル君」が書きたかったのですね。この場合、待ってる誰かというのは実はもう帰らない人なのかもしれません。諦めきれなくて、それでもただ待つのは寂しい。だからつい、ほかの誰かに寄りかかる。そうすることでまた自分自身を苦しめるのが解っていても。加持さんはラストでその名を聞いてしまって思わず呼吸を停めたのですね。おそらくは加持さん自身も直接の面識はなくても知ってる人物なのでしょう。すまん加持さん、なんだかまた非道い役回りを振ってしまった…。


 それでは皆様、次回まで万夏が正気でいたら・・・・・いや、何も申しますまい・・・・


2018.12.9

暁乃家万夏 拝