それでもうひととき あのひとの傍にいられるなら
僕はあのひとの人形でいい。

What am I, If I can’t be yours.
(もしあなたのものになれないなら、僕が存在する意味もない)

***

 自分は、Artificial intelligence人工知能…A.I. 人間によって造られた意志体らしい。
 タカミという、その名前を与えられたときからだろう。自分という存在を認識し、他者と区別する。そういう働きが生まれた。物心がつく、という表現が、自身A.I.に当てはまるものかどうかわからないが、それが一番妥当であるような気がする。
 その頃から、自分と別に…同じ場所にいる、ふたつの意志体を感じていた。自分と違って物理的身体を備えていたが、決して自由ではなかった。物理的身体を持たず、ディスプレイモニタ以外の出力デバイスを持たない身では、触れるはおろか言葉をかけることさえできなかったが…寄り添うふたつの意志体を、ずっと観察していた。
 入力デバイスについては比較的自由に検索、接続することが許されていたから、その許された自由を十二分に行使していたといっていいだろう。
 その単純な行為は、日々与えられる課題タスクと何ら関係はなかったが…明らかな報酬系を形成していた。
 それは、言語化するなら「嬉しい」とか「楽しい」とか、「心地好い」といったもの。

Akino-ya Banka’s Room
Evangelion SS 「No Apology Ⅹ」

If I can’t be yours Ⅱ

 暮色を強める部屋。そのベッドに、カヲルが身を横たえている。
 それは、タカミにとっては不思議な感覚だった。
 自分タカミと全く同じ顔。身体。…与えられた情報から、自分の方が複写体コピーであると認識はしていた。しかし意志体としては紛れもなく客体。それは眩暈に似た感覚をもたらしてくる。
『渚先輩』
 感慨に耽っていられるような時でも場合でもないことは判っていたが、そう呼びかけたときの、彼が示す隠れもない当惑が何か可笑しくて…思わず口許が綻ぶ。それがまた、彼の当惑を深めると判っていても、押し込めることは出来なかった。
 同じ学校の先輩と後輩。よく似ていると言われるが全くの他人。そんな、書類的な事実だけを陳述したところで彼の疑念が晴れることはないのも承知の上で、タカミはそう説明した。
 今は、それ以上は必要ない。
 本来狙われていたのは自分タカミであったこと、しかしもう危険は去ったこと…カヲルに関して言えば、このマンションにいる限り安全は確保出来ること、加持という人物についても、信用は出来ることを…可能な限り簡潔に説明する。
 ――――加持については、タカミは自分が嘘をついていることを自覚していたが。
 目覚めたとき、カヲルはレイがいないことに一時ひどく取り乱しはしたが、その後は概ねタカミの話を静かに聞いてくれた。すぐに危険が及ぶことはない、必ずまた逢えるという言葉をどれほど信じてもらえたものかはわからないが。
 静かにというより半ば呆然としているのだと判ってはいたが、以前は彼の身体を静電気のように覆っていた警戒感が消えているのが、今はただ嬉しかった。
 逢ってみたい。話してみたい。触れてみたい。…ずっとそう思っていた。まだ、物理的身体が存在しなかった時から。
 こんな形でしか触れ合えなかったのは哀しいことだが、それでも彼らのために出来ることがあると思うと、数式で置き換えのきかない温かさが胸奥を満たす。
 しかし今、カヲルから感じるのは「哀しさ」「苦しさ」…そして「痛み」。引き裂かれた半身を想って声もなく慟哭しているのが、憔悴した頬に触れているだけで伝わってくる。それが、五感によるものとは全く別の感覚入力であることがまた不可解だった。この感覚はデータ化不能だ。そして、ひどく容量メモリを圧迫する。
 どうしていいのかわからなくて、とりあえず汗ばんでいるカヲルの額を掌で拭う。掌に伝わる熱、湿った感覚。それを認識したとき、触れることが情報流量データトラフィックを軽減させるのに気づく。自身の中で遅延し、停滞していた情報処理が一気に進む。それは、人間なら〝わかる〟という言葉で言いあらわせるのかもしれない。
 もっと触れたらいい。
 指先、掌だけでなく、腕全体で。頬で。唇で。
 頬を寄せ、唇を重ねる。薄い上掛けを退けて、両腕を背中に回して抱き寄せた。
 一度、カヲルが何か言いかけたから…動きを止めた。しかし、言いかけた言葉は霧消し、そっと腕が背中にまわされる。触れる場所が広がるほど、パンクしかかっていた回路が整理されて行くのを感じた。
 カヲルもまた、同じように感じているのか――多分、回路だの、容量だのといった言葉とは別の表現があるのかも知れないが――まわした腕に微かに力が入り、胸と胸が重なる。
 そうすると、薄手のシャツがひどく邪魔なものに思えた。でも、ほんの僅かの間、身体を離しているのさえもどかしくて、その間も唇は重ねたまま…片腕ずつ脱いでベッドの下へ滑り落とす。
 ――レイがいないんだ。
 重ねた膚から伝わる不安。
 ――哀しいんだね。それから、胸が潰れそうなくらい苦しい…。
 初めての感覚だった。意識は曖昧模糊としてゆくのに、触れているだけで、こんなにも素直ストレートに心が伝わる。伝わってくるのは心臓を鋼線で締め上げるような苦しさなのに、それは抗い難い陶酔感を伴っていた。
 離れたくない。離したくない…絡めていた舌先がふと離される、その一瞬にひどく不安を感じてしまう程に。
 ただそれは、纏っていたサイズの緩いTシャツ――既に首元までたくし上げていた――をカヲルが脱ぎ捨てるための動作だった。Tシャツをベッドから滑り落としてしまうと、より広く深い接触を求めて、自分から首の後ろへ腕をまわしてくる。
 触れていることでもたらされるこの感覚は、互いに同じなのだと確信する。そのことに安堵を覚えて、タカミはカヲルの腕に引き寄せられるままにベッドの上に身を横たえた。

***

 マンションの非常階段から沈んでゆく月を仰いで、タカミは足早に段をくだり始めた。
 何も狂ってはいない。…ただ、タイミングが変わるだけ。自分は自分の目的を果たす。その過程プロセスで、〝Serial-02〟の使途つかいみちが変わるだけ。
 加持という男が怖れていた『ゼーレ』と呼ばれていた組織は、もうない。
 正確には、「人類補完計画」を推し進めようとしていた意志体が、機能を停止した、と言うべきなのだろう。MAGI-TYPEと呼ばれるMAGIのマイナーチェンジ版で生命を維持していた老人達は、畏怖を込めて『ゼーレ』と呼ばれていた。
 それを限りある生命の切ないまでの祈りと見るのか、茶番とみるのか。…正直なところ、そんなことはタカミにとって興味の範疇を逸脱していた。
 老人達の息の根を止める程の理由はない。だから、老人達のコミュニケーションエイドの接続を変更して、老人達の意図が世界の動向へ作用しないようにした。それだけだ。
 経済機構としてのゼーレを破壊すれば、世界に混乱が起こる。それは目的に合致しない。だが、経済機構としてのゼーレを維持する程度のことは、MAGI-TYPE5基もあれば不足があろう筈もなかった。
 必要としたのは、MAGIを攻略するための駒。副次的に、人工進化研究所への資金流入をカットする、という意図はあったが。
 MAGIの機能掌握、という飴に、老人達は飛びついた。あまりにも簡単に。AIに接触させるというリスクを冒すことがどういうことか、わかっていただろうに。
 AIが人間に遠慮するとでも思っていたのか?
 老人達がSerial-02自分の捕獲に動くであろうことは予測出来ていた。それも計算の内。だがまさかそれが、こんな結果を招こうとは。
 目の前でカヲルが倒れた一瞬…何が起こったのか理解しそこねた。
 誤射。…有り得べからざるミスの筈だ。…アダムの現身渚カヲルの激発を、ゼーレは何よりも怖れていたのだから。
 タカミは、それを予測し得なかった自身を呪った。
 Serial-02この身体など、老人達にくれてやって構わない。そうなったら、ゼーレの懐から正面きってMAGIを攻略したって良かったのだ。
 それで目的が達せられるなら。
 身体の奥にはまだ胸が苦しくなるほどの熱が燻っていたが、それは決して苦痛ではなかった。むしろ愉悦の火種でさえあった。
『…大切なひとを…護ってあげられなくてごめん。でも、必ず…すぐにあなたの許に帰してあげるよ。だから、今は待ってて』
 深い口づけを繰り返しながら、銀の髪を掻きやって…柔らかな耳朶の傍で何度となく囁いた。それはおそらく、自分の中ですべきことを整理するための手続き。
 まだ十分に身体が動かないカヲルを加持に預けて行かなければならないことだけが心残りであったが、無粋な器械DIS端末に繋がれた自分が長く傍にいることでカヲルを危険に巻き込む可能性を思えば、これだけは他にどうしようもなかった。
 長い間捜して、やっと巡り会えた魂の半分…それを奪われようとしているカヲルの、身を引き裂かれるような痛みを、魂消たまぎるような慟哭を、一緒に感じた。…それはひどく辛かったけれど、何が起きても見ていることしか出来なかったあの頃を思えば、どれほどのこともない。
 自分で立てた計画の通りに準備を進めながら、論理的とは言い難い何かにずっと苦しめられてきた。しかし、カヲルの心に触れた今ならばわかる。
 大切なひとがいる。そのひとのためなら、何だって出来る。
 ――――ありがとう。あなたのおかげで、わかったよ。
 階段を駆け降りながら、タカミは自分が笑っていることに気づいていた。
だが、段を降りきったとき、履いていたスニーカーの紐を水滴が叩いて初めて…自分の両眼が涙を湛えていたことを知った。

***

 いつの間に眠ってしまったのか。
 赤木リツコは、自分が研究所内に与えられた書斎のソファで転寝うたたねしてしまったことに気づいた。そして、それを気づかせたのが控えめなノックの音であることも。咄嗟に、廊下のセキュリティカメラの画像に目を走らせた。
「開いてるわよ。お入りなさい」
 白衣で、靴さえ履いたまま寝入ってしまったのだ。取り繕わなければならないような訪問者でもなかった。
 リツコの返事に、ドアが静かに開かれる。栗色の髪の、少年の姿をした者がそこにいた。
 デニムパンツと白いシャツ。その上から羽織っている淡いブルーのパーカーはややサイズが大きいと見えて、袖を幾重にも捲っていた。その姿は、何処にでも居る少年と見える。だが彼は、かつて母・赤木ナオコががMAGIとともに育てたエージェントAI1 であった。そして今は、17th-cellと呼ばれる特殊な細胞・・・・・から成る身体を与えられたことで、膨大な経験値入力を得、爆発的な成長を今なお続けている。
 それはもはや、自律型AIと呼ぶにふさわしい能力を獲得しつつあった。スタッフの中にはそれを警戒し、行動を抑制すべきとの意見も出始めているが…リツコ自身はAIの可能性の芽を摘むような方針は首肯しかねて、結局保留している。  その身体ユニットにはSerial-02のコードが振られていたが、リツコとてさすがにコードで呼びかけるような真似はしない。開発の初期において母は、そのAIにリツコの年の離れた弟として生まれる筈だった子供の名前を与えていた。
「ひとの部屋を訪問するには適当とは言いかねる時間ね、タカミ君」
 不自然な姿勢で寝入ってしまったところを起こして貰ったので、実を言えば礼を言いたいぐらいではあったが、リツコは敢えて意地悪く…そう言った。それは優等生を揶揄からかいたくなる心理に似ていたかも知れない。
「すみません、博士…インシデント報告2 です」
 造作だけは17th-cellから生まれた天使と同じ怜悧な美貌。しかし暖色の髪がそう見せるのか、最近特に表情が柔らかくなった気がする。秀麗な眉目に困ったような、申し訳なさそうな表情を浮かべて…彼は簡潔に謝した。
 彼は研究施設外の生活を設定された際、銀色の髪を栗色に染めてしまった。別に止め立てもしなかったが、きちんとした理由も実は訊いていない。目立ちすぎるから、という理由になっているようないないような返答を一度貰ったきりだ。
 普段はご丁寧に紅瞳にカラーコンタクトまでいれているようだが、研究所に出頭するときはテストの邪魔になる所為か外していた。今も、伏せがちな両眼は深紅を湛えている。
「どうしたの?」
 彼は顔をあげて、手にしていた薬袋をおずおずと差し出した。
「内服が一部、重複3 してしまったようです。残数があわなくなって」
「あら、そうなの?」
 直近の検査データをディスプレイに呼び出す。さしあたって目立った変化はない。重複投与はその後か。
「…と、この時間じゃさすがにマヤもまだ出てきてないわね…とりあえず採血と…バイタルチェック。念のために心電図も取らせてね。こっちにいらっしゃい」
 続き部屋になっている研究室ラボの扉を押し開けた時、少年の表情が僅かに硬くなるのをリツコは見て見ないふりをした。どんな些細な検査であっても、少年にとってはあまり心地好いものではないことは知っている。だが、最低限の確認だけはしておかねばならない。
 表情を消し、少年はリツコに続いて研究室ラボに入った。
 リツコはすこし自動人形めいた動きで診察台に上がった少年の腕から採血をし、血圧や体温といった基本的なバイタルチェックをした後、心電図の端子を付けて器械を作動させた。
「シグナルが鳴ったら、端子は外していいわよ。心電図それがおわったら、検査が終了するまで部屋で待機していてもらえるかしら」
 研究所内には、まだ彼の部屋がある。診察台の上でただ待たせておくのも可哀想に思えてそう言った。そうして、当直の研究員に検体の搬送を依頼したあと、カートの一つに小さなトレイを出して薬袋の中身を並べ、残数の確認を始める。
 程なく、検査終了のシグナルが鳴って、彼が身を起こす気配がした。
「…此処に居ても、構いませんか?」
「いいわよ。何か、読みたい本でもあるかしら?」
 リツコは振り返ることなく、そういらえた。
 それに対して少年が返事をしたのかどうか。リツコはひょっとしたらまともに聞いていなかったのかもしれない。足りなくなった薬剤を確認し終え、ワークステーションに必要な追加検査オーダーを打ち込む。その時初めて、少年がすぐ後ろに立っていたことに気づいた。
 不意に、ふわりと背が温かくなる。
 この手の悪ふざけをする大人には心当たりがあったが、この少年が、というのはリツコにとっては全く想定外だった。
「…どうしたの?」
 少年の背はリツコの肩を僅かに越える程度だ。リツコが女性としては長身の部類に入るから、白衣の背に頬を寄せている彼の表情は、栗色に染められた癖のある髪に遮られて見えない。ただ、前に回した手は縋るように白衣の裾を掴んでいた。
「…ごめんなさい…」
 常になく心細げな声音。それが気になって、裾を掴んでいる手に、そっと掌を重ねる。
 AIとしての成長はともかく、情動の表現に関しては然程顕著ではなかったSerial-01に比べて…Serial-02はかなり豊かな表出をするようになっていた。
 それがあるいは、ただ観察した他者の感情表現を模倣しただけのものであったとしても…今までこういった不安げな様子を表に出したことはなかったのだ。
 体調の変化で、少し不安定になっているのだろうか。
「とりあえず、座りなさい。…調子、悪いのかしら?」
 先刻までに出たデータに異常値はない。とりあえずリツコは少年を診察台に座らせ、顔を覗き込もうとして…出? ?なかった。
 少年が両腕をリツコの背中へ伸べて、強い力で引き寄せたからだ。彼の腕の中へ倒れ込むような格好になったが、華奢な肩は存外しっかりと支えきった。そして、診察台に片膝をついたリツコを抱き締めたまま、その耳朶に唇を寄せて囁いたのだ。
「本当に…ごめんなさい。…でも、僕は…」
 内服タスクの遂行にミスがあった程度で、これほど不安定になるとは考えにくい。
 彼女としては希有のことであったが、客観的なデータよりも膚から伝わってくるものに絆されたとしか言いようがなかった。
「…いいわ。データがあがってくるまで、此処にいらっしゃい」
 そう言って、栗色の髪を胸に抱いた。

***

 多分、例によって半分徹夜だったのだろう。
 仮眠のためのソファベッドの上で眠りに落ちてしまった彼女の、脱色された髪に触れながら…タカミは心臓を鋼線で締め上げるような感覚に思わず息を詰まらせる。
 ――――ひととき貴女あなたの傍にいられるなら、僕は貴女の人形でいい。
 ――――でも、貴女以外の誰かのために踊るつもりはない。
 髪に触れた手をそのままソファについて、身を屈めた。ソファに広がる髪に口づけて、もう一度頬を寄せる。
「ごめんなさい…」
 おそらく、自分は彼女が求める存在にはなれないだろう。自分このプログラムには矛盾があるからだ。このまま行けばどこかで破綻する。
 破綻を回避する他の方法を、気が遠くなるほど検索し続けた。今もまだどこかで、他の方法がありはしないかと探し続けている。…でももう、時間がない。
 もう少し、此処に居たい。
 もう少し、触れていたい。
 胸奥でくすぶる熱はそう騒ぎ立てるのに、指先は冷たく、この手で触れることで彼女を起こしてしまうのではないかと怯えてしまう。
 だから、もう一度だけ熱を残す唇で触れる。その髪に。頬に。唇に。
 身を起こして、服を整えながら…起動したままのワークステーションに目を向けた。
「赤木博士」の私室に設置されているこのワークステーションの権限はかなり強化されている。MAGI本体からでさえ制御できない暗号キーを複写して、タカミは立ち上がった。
 準備完了。
 もう一度、ソファベッドの方を見た。そうすれば、動作が遅延すると解っていても。
 ソファから滑り落ちた白衣を拾い上げ、眠る彼女の上にそっと掛ける。
 苦しいのに泣くことも出来ない。一粒の涙さえも今は出てこない。
 もう、始まるのだ。
「ごめんなさい…さよなら」

***

 所内はMAGI-TYPEからの一斉攻撃で混乱していた。
 タカミが赤木博士のワークステーションから複写した暗号鍵を使ってその扉を開けたとき…殺風景な部屋の中で放心したように座り込んでいた少女は最初に怯え、一瞬だけ歓喜して、それが求めた者でなかったことに微かな落胆を見せた。
 おいで、ここから出してあげる。
 タカミは苦笑し、そう言って腕を伸べた。彼の許へお帰り、と。
 彼女レイの当惑に十分な説明をしてやる時間がないことが不憫ではあったが、カヲルが意識を取り戻していると聞くと、少女は一も二もなく立ち上がった。
 所内を移動していても咎め立てされることない自分と違って、囚われている彼女を安全に所外へ出す為には相応の配慮が必要であったが…タカミにとって研究所内は自分の部屋と同じで、それこそ目を瞑っていても移動出来る。そしてこの混乱が、状況が味方する。
 最後のゲートから彼女を送り出す瞬間になって、彼女の服の襟につけられていた発信器に気づいて冷汗を感じたが…常時発信ではなく数分おきであったようで、まだ感知された様子はなかった。MAGIから干渉させて即座に位置情報を偽装する。MAGIーTYPEの対応にほぼ手一杯のMAGIを欺すことはそれほど難しくない。
 真っ直ぐお帰り、月の姫様。
 無事に帰れるおまじないだよ、と彼女の額に軽くキスをしながら…そっと彼女の襟から無粋な器械をむしり取って、彼女を送り出した。
 タカミ自身がこれからどうするつもりなのかを少しだけ気に掛けたように、彼女が一度だけ振り返った。だが、タカミがただ笑って手を振ると…ここで詮索のために空費する時間がタカミの計画において致命的なエラーに繋がるということは理解してくれたようだった。
 紅瞳に僅かに涙を滲ませて、彼女は走っていった。
 これでいい。
 彼女を逃がすために十分な時間は稼いだ。そろそろ、仕掛けた者が誰なのか…いくら何でも気づかれる頃だ。
 案の定〝Serial-02〟を標的ターゲットに〝槍〟が放たれるのを感知する。
 レイに付けられていた発信器を握ったまま、屋上へ出る。仰ぎ見た空に、月はなかった。
 ああ、月はもう沈んでしまったのだ。あの地平の彼方へ。カヲルのマンションを出る時、沈みかけた月を見たことを思い出す。
 ただ黎明の…群青から蒼へ移る前の空にはまだ星が満ちている。
 綺麗だな。
 ――――防壁はほぼ無効にされていた。急速に視覚が、聴覚が蚕食されていく。
 手足に感覚があるうちに、タラップを使って給水塔へ上がる。タンクの上に乗り移って、空を仰ぐ。近くなった空は、やはり綺麗。
 所内のネットからの接続をわざと残しているから、此処が嗅ぎつけられるまでそう間はないだろう。
 MAGI-TYPEからの攻撃を手引きしているのがSerial-02であるという研究所の認識は概ね間違っていないが…槍の使用は諸刃の剣だ。おそらく発動前にMAGIの中のSerial-02に関する領域は切り離されているだろう。しかしそう簡単に区切れるものではない。使えば確実にSerial-02は削除されるが、MAGIのハードとソフト両面に深刻なダメージを与える…それが当初からの目的。
 他でもない。ハードウェアという軛からの解放。
 これは裏切りだろうか?
 彼らにとっては、そうなのかも知れない。
 MAGIを喪えば、人類補完計画とやらは大きな後退を余儀なくされるだろうが、自分にとってそれは優先事項ではない。
 ――――だって僕は、生きたいから。
 ――――あのひとは、生きろと命じたのだから。
 扉が乱暴にこじ開けられ、保安員が何かを叫びながら出てくるのが見えた。しかし、視界はひどく悪い。入力デバイスの所為ではない。情報処理回路の問題だ。…感覚領域が槍に喰い荒らされつつある。
 それでも、あのひとの姿だけはわかった。
 どうして、こんな処まで来てしまうの。
 貴女には…こんな姿、見られたくなんてなかったのに。
 貴女の声が、もう聞こえないのに。
 おそらく自分は、泣きそうな顔をしていたに違いない。パーカーのポケットに捻じ込んでいた、無粋な黒い塊を引っ張り出して、給水塔の下で騒いでいる者達に向ける。
 それが何であるか気づいたのか、保安員たちの叫びが鋭角的になった。しかし、何を言っているのかは解らない。自分にとってはただの、不快な雑音に過ぎなかった。
 何をもたもたしてるんだろうね。発砲の理由を作ってあげたのに。
 貴女を殺して僕も、なんて…
 愚かな人形には似合いのシナリオかも知れない。
 ――――安っぽすぎて、お話にならないけれど。

What am I, If I can’t be yours.
  (もしあなたのものになれないなら、僕が存在する意味もない)

 そして、銃声が響いた。

――――――――Fin――――――――


Akino-ya Banka’s Room
Evangelion SS 「No Apology Ⅹ」



「If I can’t be yours Ⅱ」についてのApology…

暴走してます。わかってます。ごめんなさい

 裏なら裏らしく裏書きませう!シリーズ「No Apology」分岐モノ続編。いえわかってます、暴走してます。でも書きたかったんだい!

 当初の「加持さーん、かむばーっく」という掛け声は何処へやら、すっかりビジュアルがカヲカヲなタカミ×カヲル、&タカミ×リツコさんなお話になってしまいました。…てか、実情はリバースしてる気もするのですが。(つくづく受だからこの御仁…)でもまぁそこは書かぬが花?

 タカミ君は「生きろ」という赤木母娘の至上命題に従って生存についての確率を突き詰めた結果、身体ハードウェアなんかあったらいろいろリスキーだという結論に落ち着き、ハードウエアに依存しないA.I.としての成長へ舵を切りました。そこんとこはオモテ準拠。ただ、この分岐では撃たれたのがカヲル君だったものだから、ハードウエアを棄てる前にいろいろやらなきゃならないことが増えちゃったというのが今回の話。

 結果、ラストシーンがかなりムゴいことになってしまいました。追い詰められてハチの巣にされた挙げ句墜落、とか…どぁああああそんなん君のキャラじゃないぞっつ!どうしたってゆーんだ! と書きながらのたうち回る万夏の姿がありましたとさ。しかしタカミ君としては、Serial-02はデータも取れないくらい壊しておきたいという意図があったのでした。(A.I.としての自分がハードウエア依存の状態から遷移したのだという証拠を残したくない)理想としては骨も残んないくらい焼き尽くす、くらいにしたかったんでしょうが、所内でそんなことしたら、確実にリツコさんを巻き込んでしまう。仕方ないから、柄じゃないなぁとか思いながら凄惨なシナリオを選択してしまったのでした。

 結果、Serial-03は生成されないままということになります。うーんホントに悲惨な話になってしまった…。前のやつをUPしてから2週間経ってません。なんだか憑きものくさいテンションですね。このくらいで切り上げといた方がいいのかも知れない…さもないとまた煮えた脳味噌がへんなものを吐き出しそうです(まさに今更)。それでも読みたいって方、おられます?

 それでは皆様、次回まで万夏が正気でいたら・・・・・いや、何も申しますまい・・・・・・(^^;

2019/5/24

暁乃家万夏 拝

  1. エージェントAI…コンピュータと人間の仲立ちをする機能に特化した人工知能。SiriとかGoogleセンセイみたいなものだが、実直にタカミ君はあそこまで親切でもお節介でもない。
  2. インシデント…中断・阻害、損失、緊急事態、危機になり得るまたはそれらを引き起こし得る状況。
  3. 重複…この場合、飲むべき薬を誤って回数ないし量を多く飲んでしまうこと。内服を自己管理にしているとあまり珍しいことでもないが、薬剤の種類によっては重篤な結果をもたらすこともある。(普通、そういう薬は自己管理にはしない)