何故、泣いているの?Why do you weep?


Akino-ya Banka’s Room Evangelion SS
「Why do you weep?」

Scene 4 Why do you weep?


「…間に合わないかと思って、冷や冷やしたよ」
 MBCI本社ビルに隣接しているタンパク壁プラント群。外装は白一色。白い直方体が黙然と立ち並ぶそこは、墓所のような雰囲気を持っていた。
 プラントの一つに寄り掛かるようにして座している彼の周囲には、血溜りができていた。
 それは、脇腹をはじめ数箇所の銃創から流れ出している。
「…どうして、防御しなかった?」
 静かな苛立ちを込めて、カヲルがなじる。
「しなかったんじゃなくて、できなかったんだよ。僕はどうやら物理防御についてはひどくへたくそらしくてね。…御覧の通りの有様だよ。いや、笑って貰って構わない」
 その顔は既に蒼白であったが、血に汚れた唇でからりと笑んで言った。
 カヲルが黙したまま、血溜まりの中に膝をつく。しかし傷のうち、一番酷いものに触れようとして、タカミの手に押しとどめられた。
「…駄目だよ、カヲル君」
「まだ間に合う」
「そうかも知れない。でも、お願いだから、やめてくれないか」
「…!」
 カヲルが、彼に劣らず蒼白な頬を引き攣らせた。
「どうして!」
 声は掠れた。
「もう『タカミ』じゃないんだ。理解っているんだろう?」
「・・・・・・・・・・」
「笑っちゃうよ、まったく。ひとつになったと思った。ずっとこのままいられるんじゃないか。そんな甘いことまで考えてた。…とんでもないね。タカミの心も、身体も、記憶さえも喰らって、結局自身の破滅を導いただけだ」
 血に汚れた唇が、もういちど笑みを浮かべる。ただ先刻と違うのは、皮肉に濁っていたこと。
「…私は恐怖イロウルだったんだよ。14年前から、ずっとね。…もう、『タカミ』を自由にしてやらないと」
「…そんなこと…」
 言いかけて、こみ上げた何かに堰かれる。
「『関係無い』?…ありがとう、カヲル君。僕はね、君のことが大好きだよ。これは本当。だからね、君にあまりひどいものを見せたくなんかなかったんだけど…こうなっちゃ仕方ないね。
 …僕を、消してくれ。 細胞ひとつ残さず、この地上から消し去って。そうしなければ、僕は運命に捕まる。もう、たくさんだからね」
 あまりにも穏やかな表情に、カヲルは言葉を探すのに長い時間を要した。
「…全てを諦めるのか。未来も、可能性も、想いも、全てを仕舞い込んだままいってしまうつもり?
 …僕には、何もわからないと思ってたのか?」
 言ってはいけなかったのかも知れない。でも、言わずにはいられなかった。
「…カヲル君…」
 孔雀石の翠マラカイトグリーンが一瞬だけ見開かれて、ふっとその色彩を曇らせる。
「諦めたくは、なかったなぁ…」
 深く…深く息をく。その所作で気道を血液が駆け上がったのか…少し咳き込んだ。
 カヲルが手を伸べて、朱を散らせた口許を拭う。そのままプラントの壁に手をついた。血の匂いに一瞬だけ咽せそうになる。
「…僕は…誰かの代わりでも、構いやしないよ。だから、もうすこしだけ…諦めないで…」
 そしてただ、口付ける。…何度もそうしたように、深く…。
 ややあって離れたカヲルの唇についた緋色を、今度は彼が拭って薄く笑った。
「…随分と…上手になったね。意識を持っていかれるかと思ったよ」
「あなたが教えたんだ。でも今は…血の味しかしない…」
 拙劣へたな冗談に、泣きそうな顔のまま、カヲルが言った。…触れた唇の冷たさに、もはや機を逸していることを宣告されたからだ。
「意外と残酷だねえ、君は。
 …そうだよ。多分あのひとは僕のことは知らないし、知ったら知ったで敵になる。でも僕は、あの人の傍にいたいと思った。どんな形でもいい、支えてあげられたらいいなって思ってた。でも、もう駄目だね。手の届かないものを欲しがって、君も傷つけた。
 …これは、正当な報いというべきなんだろう…」
 傷に手を触れて、彼が苦笑する。
「あなたが、何を言いたいのかわからないよ。それよりも、あなたが僕を置いていくことの方が…余程非道いことだって、思ってはくれないんだ…?」
 カヲルは壁についていた手を離し、座り込んだ。か細く呟くような言葉と共に、その頬を透明な雫が滑り落ちる。
 彼は少し哀しそうに笑った。
「…何故、泣いてるんだい?
 僕が君のためにできることって…実は何もなかったんだよ。今更って言われそうだけどね。だから、君が泣かなきゃならないことなんて、まだ何も起きていないんだ。
 いつか君が、本当に欲しいものを見つけることが出来たら…きっと、僕のことを嫌いになると思うよ。…何てひどいやつだったんだろうって。
 …すまなかったね。本当に…」
 そうして、もう一度深く息をいた。今度はもう、咳き込むことはなかった。
 カヲルは、両膝の上で握りしめた拳をかすかに震わせながら…もう聞こえないとわかっていて、絞り出すように言った。


「…嘘き…」

――――――――Fin――――――――

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