カヲルが初めて彼に会ったときの印象は…

 …ひたすらに、「不思議」だった。


Akino-ya Banka’s Room Evangelion SS
「Why do you weep?」

Scene 2 眩惑の海から


 あの家にいた者達と同じでありながら、その半ばは人間リリン
 人間としての名を持ち、あまつさえ…そうある・・・・ことに固執しさえする。そのくせ、回りくどい方法でアダムの子らに接触を試みたりもする。
 何がしたいのか解らない。
 何を考えているのか解らない。
 彼の意志とは関係無く、身体は少しずつアダムの子としての形質を取り戻していくのに…それに必死で抗っている。
 出来るわけもないことに、どうして心と身体を削り続けるのか。それが知りたくて、カヲルはそこに身を置いていた。訊いてもくらまされるばかりだから…ただ傍にいた。
 そうするうちに、イスラフェルの刻が来た。
 自分では慣れたつもりでいた。ガギエルが引き裂かれる様をほとんど心を揺らすことなく見ていることが出来たから。それがいっそ情けない程に「つもり」でしかなかったことを…カヲルはいやという程思い知らされたのだった。
 身体が、内側から凍っていくような感覚。凍りついた肺は呼吸を拒否し、泣くことも出来ない程の息苦しさを…ただ触れることで融かされる。すぐに醒めてしまう酒精アルコールなどと比べるべくもない、深い熱。
 何を以てすれば、溺れずにいられただろう。
 触れることは恐ろしい。際限のない同調エンパシーは、無秩序に大量の感情をカヲルの中に流し込んでくる。以前に比べればコントロールは良くなったとはいえ、接触があれば咄嗟にブロックし損ねることもある…だから、極力近づかない。
 それなのに。
 石に触れたような冷たさとも違う。確かにそこには、生きた者の存在を…熱を感じるのに、カヲルを混乱させる何ものも押し入っては来ない。
 イスラフェルがそうだった。
 おそらく、ATフィールドのコントロールにもそれぞれ得手不得手があって…接触によって無遠慮な侵入をしないといったことについて、タカミはイスラフェルと同等の能力を持っていると解釈すべきなのだろう。だから、イスラフェルに触れられるのは嫌ではなかった。むしろ、深い安寧を感じた。
 しかし、タカミがカヲルに与えたのは。

***

 初めてここで夜を過ごした時は、リビングのソファの上で身を横たえていても…不意に同じ建物の中の誰かの思念を拾って目覚めてしまった。
 よくこんな場所で眠れるなと思ったものだ。
 結局、すぐに「閉ざす」ことを覚えたのだが、あの夜以来家主タカミのベッドに潜り込むようになってからは、それが必要なくなった。
 余計な声も音も聞こえない。深く暖かい海の中に揺蕩たゆたっているようだった。
 触れていること。触れられていること。自分のものでない鼓動を聞きながら眠ることがこんなに穏やかなものであることを、おそらくは初めて識ったのだと思う。
 それが耽溺であり、依存と呼ばれる状態であると…カヲル自身、思わなかった訳ではない。
 肌を寄せて眠るだけでも良かった。しかし、より深い接触を求められても…カヲルの方にそれを忌避する理由は特になかった。
 タカミの裡に、かすかなノイズを感じるまでは。
 怖ろしくかすかな…でもそれは確かな悲しみの感触。

***

「…悲しい…? 何故?」
 幾度目かの問いは、やはり深い口付けではぐらかされる。
 はぐらかされていると解っていて、カヲルはそれに応えた。それだけでなく、より深い接触を求めてタカミの背に両手を回す。…要求は、正しく報われた。

***

 暖かな海の中でたゆたうような、優しい感触。

 欲しいから、また求める。・・・・何度でも。

 醒めた夢の続きを探すように。

 正体など判らなくていい。このままでいい。

 今が心地好いから。このままずっと、この感覚の中で・・・・・・

 暖かい…

 気持ちいい…

 このままずっと、眠り続けたい…

 何故、そんな悲しそうな顔をするの?

 何も知りたくない。このままでいい。

 そう願うのは、いけないこと…?

***

 接触しているのだ。彼に聞こえていない訳はない。
 答えたくない理由?答えられない理由?
 優しい感覚の中に溺れながら…もはや、カヲルは問うのにも倦みつつあった。